ウィーン・飛ぶ教室///第22回:ウィーン ア・ラ・カルト2

作成者:
日本標準

この連載を開始したころは、コロナ対応に右往左往する生活で、その様子をお伝えしました。その後、規制はどんどん緩和され、あの緊張感のある生活は過去のものになってしまいました。

しかし、今回は少し時間を戻して、子どものコロナワクチン導入について思い出してみたいと思います。

  

子どもワクチンとコロナ・クラップフェン ―合理的配慮とユーモア―

オーストリアでは、2022年6月以降、病院などを除き、マスクの着用義務がなくなりました。
ウィーンのみ、公共交通機関での着用義務は残りました。電車でウィーンから他州へ出る場合、州境を越えるとみな一斉にマスクを外していたのが印象的でした。

オーストリアでの激しい反ワクチンデモの様子は以前お伝えしました(第10回)。
その後、2021年11月15日より、オーストリアはヨーロッパの中でも最も早く5歳から11歳の子どものコロナワクチンを導入した国の1つとなりました。決定は、EUの医薬品規制当局の正式承認の前でしたのでかなりの不安がありましたが、ウィーンの医療関係者やママ友に相談しまくって、うちの子どもたちにも受けさせることにしました。
12月も終わりのころのことでした。接種は4週間あけて2回です。

オンラインで予約を取り、見本市や国際会議などが開かれるオーストリアンセンターの接種会場に行きました。問診票に記入してから、パスポートを提出し、医者の問診を受けて、各ブースで接種という流れです。
無駄のないスムーズなオペレーションで非常に快適でした。

しかし、子どもは当然快適ではありませんでした。
特に、下の子は1回目の接種のとき、大声で泣いて、非常に抵抗しました。2回目のときも、医師による問診の際、名前を聞かれたり、どちらの腕に打ちたいかと尋ねられたりすれば答えますが、その様子から抵抗する気満々であることは明らかでした。
そこで、私は正直に医師に1回目の様子を伝えました。

すると、医師は、「君は私についてきてほしいかい?」と子どもに聞くのです。子どもは「Ja(うん)」と答えます。
医師は子どもと手をつなぎ、注射を待っている子どもたちの長い列をすっ飛ばして、接種ブースに直接向かいました。
そして、「この子、先にするから!」とブース内の看護師に告げ、うちの子を摂取しやすいように向かい合わせで頭を抱えてだっこして「大丈夫、大丈夫」と言っているうちに2回目の注射はあっという間に終わってしまいました。

オーストリアではこういうことがよくありました。「こういうこと」には2つあります。

ひとつは、こうした個別の対応をする場合に、個人が判断するということです。医師はこの件についてだれにも相談することはありませんでした。
注射が嫌でひどく泣く子どもを優先するのは、その子の恐怖心を長引かせないためと、泣き叫ぶことでほかの子どもにその恐怖心を伝播させないため両方の理由が考えられました。
 

もうひとつは、小さな子どもであっても、大人はその意見を聞き、それを尊重するということです。
上記の場面で、私が医師なら「どちらの腕に打ちましょうか」、「泣くなら私がついていきましょうか」と保護者にきくところです。しかし、注射を受けるのは子ども本人なのです。
こうして子どもたちは自分の判断を大人から問われる経験を毎日のように繰り返しているのだと思いました。
当たり前なのかもしれませんが、こうしたことは(過保護気味な)私にはとても新鮮でした。そして私は子どもの意見を聞き、それを尊重する親であるとは言えないなと反省もしたのでした。

こうして何とか接種を終えて帰るときに、センター内に移動販売のパン屋さんが来ていました。
子どものご機嫌を取ろうと、「お注射頑張ったし、好きなの買っていいよ」と言いました。ショーケースの中を覗き込んだら、こんなパンが売られていて、オーストリア特有のブラックユーモアを垣間見ました。

これはクラップフェンと言います。粉砂糖のかかった揚げパンの中に、一般的には杏ジャムが入った菓子パンです。フランスではベニエと言います。
オーストリアでは、2月あたりの謝肉祭(カーニバル)の時期によく食べられます。

さて、このクラップフェンはコロナバージョンです。
クラップフェンに注射器が刺さっています。注射器には、卵リキュールの入ったカスタードクリームが入っています。食べるときにこの注射器をぐっと押して、クラップフェンの中にクリームを注入するようになっています。ミドリの金平糖はコロナウィルスを表しています。

コロナワクチンの接種が初回の人は、その証明書を見せれば、このコロナ・クラップフェンを1つ無料でもらえました。私たちは2回目だったので、無料ではもらえませんでしたが、面白かったので1つ購入しました。

2022年12月にワクチンの初回接種(成人)だと一般的には遅いほうでした。ワクチン接種に積極的ではなかったけれども、ようやく受けに来た人々も、こうしたユーモアで包摂しようとしていたのか……。このパン屋さんにそんな意図があったようには思いません。
ただ、第10回で見たように、ワクチン推進派と反ワクチン派で分断されたオーストリアが、こうしたユーモアで、また緩やかにつながっていくといいなあと思ったのでした。

時間は流れて、2022年7月に訪れたイギリスでわたしたち夫婦はコロナに感染しました。7月半ばに4回目を接種しようと思っていた矢先のことでした。
EU内はすでに隔離などの対応がなく、ふらふらになりながらも何とかウィーンに帰ってくることができました。
さらに不幸中の幸いだったのは、子どもたちが感染しなかったことです。症状もなく、また何度もPCR検査をしましたが、子どもたちに陽性の反応は出ませんでした。あのときギャン泣きして受けたワクチンのおかげだと思っています。

  

ママ、水の色は青色じゃないんだよ

初夏、幼稚園に通う下の子が、仲良しの双子の女の子の誕生日会に招待されました。幼稚園があるMQ(美術館などの施設が複数あるエリア)にあるひとつの美術館、レオポルトミュージアム(Leopold Museum)でワークショップに参加するお誕生日会です。
レオポルトミュージアムは、オーストリアを代表する画家、エゴン・シーレの作品群が見られることで非常に有名なところです。

子どもの話によると、ワークショップは、美術館の見学と絵を描くことの2部制だったようです。
うちの子は、前者、つまり美術館の見学にとても感銘を受けたようで、帰ってから繰り返し、こういうのです。

「ママ、水の色はね、青色じゃないんだよ。白もあるし、緑もあるし、灰色もあるし、金色も、銀色もあるんだよ。あのね、だからね、今度、絶対このミュージアムにみんなで行こうよ。あの絵はね、絶対見たほうがいいよ!」

何度も同じことを言うので、家族で行ってみることにしました。
5歳の子どもが、美術館で絵を鑑賞することが面白いってあるんだろうか? 特にこれまで絵を描くのが好きということでもなかったのに……。

同美術館にはシーレの代表作などがこれでもかというほど並んでいます。
うちの子はそうした作品をどんどん飛ばして、「こっち、こっち」と私たちを連れて行きます。たどり着いたのは、オーストリアを代表する画家、グスタフ・クリムトの作品でアッター湖(Attersee)が描かれた2枚でした。
ここでお見せできないのは残念ですが、画面いっぱいに湖面が書かれた作品です。子どもが言った通り、水面が緑や黄色、灰色などの色で表現されており、青色はほぼ使われていません。

子どもは改めてこの絵を見直し、「やっぱりなー。水の色は青じゃないんだよ。」と言って満足そうです。  

今後、こうした視点は、絵を描く際にも、鑑賞する際にも子どもの中で繰り返し生起する経験として残っていくものだと思います。
彼らはクリムトの絵をほかの絵とは区別して鑑賞するようになるだろうし、水を描くとき、あるいは木を描くときにも援用して、単色ではなく多色を使って描くでしょう。

日本では最近は体験格差(親の経済力や認識の差によって、豊かな体験ができる子どもとそうではない子どもの格差が広がっている)の問題点が指摘されています。
第13回でもお話ししたように、ウィーンには子どもを、芸術を享受し、実践する主体にする機会が多くあります。それは、美術館、博物館などの子どもの入場を無料にすることと、日曜や長期休暇中の公共交通機関を無料にすることがセットになって具体化されています。

日本でも今後こうしたことが子どもの健全な育成に関わることであると認識され、教育の無償化とともに議論されるべきことだと思います。
私の専門は教育方法学という分野で、学校の授業をどうすればよいか、子どもたちに必要な学力はどうあるべきか、といったことをこれまで考えてきました。しかし、その思考はやはり学校教育に限定化されていたように思います。
「水の色は青色ではない」ということを学習できる場が学校外にある社会を考えていく必要があります。

伊藤実歩子(立教大学文学部教授)

 

関連する教育情報

コメント

コメントがありません

人気のキーワード

人気特集ランキング