ウィーン・飛ぶ教室///第21回:ウィーンで暮らす日本人
今回のウィーン滞在は、私の過去の2回の留学と決定的に違うことがあります。それは、通信手段です。
Zoom やスカイプといったオンライン通話サービスが劇的に発達したことによって、日本との連絡がとても容易になりました。ウィーンから日本のみならず世界の学会や研究会に参加することも全く問題ありません。これさえあれば世界中どこへ行っても仕事ができるというわけです。
LineアプリやWhatsAppといったメッセージアプリもとても便利で、写真付きのメッセージを気軽に相手に送ることができます。
昔なら手紙や絵ハガキを送ったり、少し前まではEメールで写真を添付したりして近況報告をしていました。それに対して、今は、「元気?」といった簡単なメッセージと写真、何なら写真だけを撮ったその場からすぐに送ることができます。
そういうアプリを使って、学生時代にヨーロッパを一緒に旅した友達にもウィーンや旅先からたびたび写真を送っていました。
あるとき、その友達はこういうメッセージを送ってきました。
「(私が送り付けたヨーロッパの)写真見てたらさ、大学卒業後、海外で暮らすっていう選択してたら、私の人生どうだったかなって考えることある……。」
友達のメッセージで思い出しました。わたしも、かつて海外にずっと長く住むことを夢見たことがあったなあと……。
そこで、実際に、ウィーンで出会った日本人に聞いてみることにしました。私と同世代のアラフォー、アラフィフの皆さんです。加えて、ウィーンといえば、音楽の都というイメージですが、今回はあえて、音楽で生計を立てていない人々に登場してもらいます。
ナオコさん
ナオコさん(仮名)は、ウィーンに暮らしてもう30年になります。
地元広島の短大を卒業後、ウィーンに来ました。旅行会社や国際NGO団体(「SOS子どもの村」)で長く働いてきました。組織再編により残念ながら失職したナオコさんは、次に何をしようかと考えて、大学に行って学ぶことにしました。
というのも、広島出身のナオコさんには、ずっと気になっていることがあったからです。学徒動員で任務に就いていたときに被爆し、行方不明のままの伯父のことです。両親も高齢になった今、この伯父のことを記憶している人はもうあまり多くありません。
ナオコさんは、この叔父のことを書き残しておく必要があると思い、ウィーン大学の日本学科で勉強することにしました。
欧州市民権と同等の滞在ビザを持つナオコさんには、大学の学費はかかりません。失業手当に相当する生活費の援助を受けて、ナオコさんは大学の学士課程を修了しました。現在は大学院の修士課程で原爆文学の研究を続けながら、職業訓練も受け再就職先を探しています。
ところで、ナオコさんは3人姉妹です。彼女のオーストリア移住を見て、2人のお姉さんたちもウィーンに移り住み、1人はウィーンで唯一の日本人美容師として、もう1人は日本の政府系団体職員として働いています。
アユミさん
アユミさん(仮名)は、高校・大学とアメリカに留学し、英語が堪能です。
大学卒業後は、少し日本でも働きましたが、その後はオランダで長く働いていました。そこでオーストリア人男性と結婚し、ウィーンにやってきました。
男の子を出産後、離婚し、現在はウィーンでシングルマザーとして子育てと仕事を頑張っています。仕事は企業コンサルタントで、シンガポールとオランダの会社と契約を結んでいます。仕事の効率化をはかれば、2つの仕事をすることは可能だと考えました。
仕事は、日本の企業や官庁とヨーロッパの企業を仲介することです。仕事をする中でいつも気になっていることがあるそうです。日本の大企業や中央省庁の社員・職員の多くが、英語が十分にできないこと、データを読んで判断をせず前例で判断する傾向にあること、交渉に出てくる社員が決定権を持っていないことなどで、大事な商談をたびたび逃してしまうことが問題だといいます。
子どもの学校が休みの時や、彼女が海外出張に行く時などには、離婚した夫が、子どもを旅行に連れて行ったりして世話をすることになっています。それでも子育てと仕事の両立は大変で、わーっと叫びたいことがあるといいます。
アユミさんは早期リタイヤを目標に、資産運用としての投資にも余念がありません。ドイツ語があまり得意ではない彼女にとって、ウィーンはとても保守的な街に映ります。将来、このままウィーンにいるのか、あるいはかつて暮らしたオランダに戻るのか、考えてもいます。
タカシさん
大阪生まれのタカシさん(仮名)は、日本でオーストリア人女性と出会い、結婚しました。その後、オーストリアに移り住み、さまざまな仕事をしながら子ども3人を育ててきました。
最初は、アジア系の食料品店で、配達の仕事をしました。日本から来た企業の駐在員家庭などにコメなどを配達していたとき、駐在員の態度にとても悔しい思いをしたといいます。
その後、ウィーン中心部にあるいくつかの高級ブランド店で販売の仕事に就き、そこでの接客や売り上げが評価され、現在は、ヘッドハンティングされたスイス系の高級宝飾店で働いています。
朝は通勤電車の中から顧客にメールやメッセージの返事やお礼を送り、開店直後から閉店まで顧客の予約がびっしりの毎日を送っています。昼食を食べる暇もない日が多いそうです。
高いものを売るのではなく、その人のニーズに合ったものを提案するように心がけてきました。今では、お客さんはほぼタカシさんの提案通りのものを購入していくといいます。実は今もヘッドハンティングで誘われており、身の振り方を考えているところです。
さぞ多くの日本人顧客を抱えておられるのだろうと思いきや、お得意様の多くはオーストリア人ばかりで、日本人は皆無だそうです。日本社会の行く末を心配しているといいます。
Hana Usuiさん
Hana Usuiさんは、ウィーンで活躍するアーティストです。
東京で生まれ育ったHanaさんは、書道に邁進してきました。しかし、日本の書道界に窮屈さを感じ、アートの世界に生きてみたいと思うようになったといいます。
イタリア人の夫はキュレーターで、これまで二人三脚でやってきました。白や黒の油絵具を用いたドローイングに墨で描いた背景や写真を組み合わせたHanaさんの作品は、ドイツ語圏で広く評価されています。ドイツやオーストリアの現代アートを扱う美術館が、Hanaさんの作品を買い取り、所蔵しています。
2011年の東日本大震災をきっかけに、Hanaさんは自分の作品に政治的なテーマを取り入れることが多くなりました。福島の避難区域にも足を運び、写真を取り入れたシリーズ作品やインスタレーション、ビデオなどを作成しました。ほかにも広島の原爆や日本の死刑問題などに関する作品があります。
Hanaさんの作品は、静かです。静かですが、訴えるものが強くあります。現代アート特有の見る側を試すような、強烈なアピールはなく、あくまでも見る側に静かに思考することを迫ってくる作品です。いくつかご紹介します。
*写真の転載、複製、改変等は禁止いたします。
避難区域に残された牛。福島にはいくつか被爆牛を殺処分しない牧場がある。
© Hana Usui, Fukushima, 2019, Courtesy Marcello Farabegoli Projects
「Fukushima」
放射線量が高く、外で遊べない子どもたちをテーマにしたインスタレーション。
© Hana Usui, Why can’t we play with the sand, NKW, 2022, Photo Pablo Chiereghin,
Courtesy Marcello Farabegoli Projects
死刑の際に使用されるロープの長さと幅の和紙を用意し、それを手で「こより」にし、墨で色を付けた作品
© Hana Usui, To Life / Eleven Metres, 2018, Artcurial Vienna, Photo Pablo Chiereghin,
Courtesy Marcello Farabegoli Projects
日本では政治的なメッセージのある芸術があまり受け入れられないのに対して、ヨーロッパではそうした芸術に関心が高いといいます。特に、脱原発を推進するドイツやオーストリアではHanaさんの作品に対して関心が寄せられています。
とはいえ、そうした現代アートの世界は非常に競争が厳しいうえに、やはり極東の社会問題はなかなかヨーロッパの人々に届かないもどかしさもあるそうです。また、現代アートの作家たちは、自分の作品を自分の言葉(ドイツ語など外国語)で積極的に表現することも求められる厳しさがあることを私に語ってくれました。
Hana Usui のホームページ:https://www.hana-usui.net
ウィーンにはたくさんの外国人が住んでいます。旧東ヨーロッパからの移民、国際関係機関で働く外国人、もちろん音楽関係者もたくさんいます。
私たちは、日本食が恋しくなると、韓国資本の日本風料理のレストランに行きました。子ども連れでも気兼ねなく訪れることができる雰囲気と価格帯のところです。
そこで出会った韓国人の店長は、長くオペラ座でも活躍した歌手でしたが、コロナ禍で失業してしまいました。このとき韓国からの音楽関係者がこのレストランに多く採用されたといいます。同じく音楽で生計を立てていた日本人の妻も、現在は別の仕事に就いています。2人の娘は、ウィーン少年合唱団付属小学校(共学)に入っていて、将来、音楽を専門にしてくれたらいいなあと思っているそうです。
滞在中、ウィーンで暮らす人々のさまざまな人生を垣間見てきました。そうすると、日本の良いところ、悪いところがおのずと見えてきます。彼らの話を聞いて、メッセージアプリでは伝えることができない、彼らの人生の大変さ、たくましさ、しなやかさに大いに触発されました。
伊藤実歩子(立教大学文学部教授)
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