ウィーン・飛ぶ教室///第20回:ウィーン ア・ラ・カルト

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日本標準

今回は、ウィーンで気になったさまざまなことがらについて書いてみたいと思います。

あいまいなのはどっちだ?――誕生日プレゼントとチップ――

欧米の人と比べると、日本人はあいまいだ、とよく言われます。はたしてそうでしょうか?オーストリア人は実はすごくあいまいな人々で、私は何度も「その感じ、わかるわー」という経験をしたことがあります。

子どもがお誕生日会に招待されたときのこと。日時や場所のお知らせの後に、「プレゼントは持ってこないでね」と書いてありました。ほんとにそうかな?と思って、ママ友に聞いてみたところ、「うーん。やっぱちょっとなんか持っていくかも?」という答え。

次にうちの下の子の誕生日会をやった時も、前例に倣い、「プレゼントはご遠慮ください」と書きましたが、みんな何かしら持ってきてくれました。「いらないって言ったのに~。でもありがとう!」「やっぱり、手ぶらじゃ来れないよー。小さなものだから。」というやり取り付きで。

こうしたやりとりは、とても日本的で、少し「居心地のよさ」も感じたのでした。

ウィーンに暮らしていてあいまいで困ることの第1位は、チップです。欧米でのチップと言えば、レストランやカフェで飲食をした時に少し心づけを上乗せするイメージですが、その程度に正解がないため困ります。いろいろ観察していると、だいたい20%-10%くらいを上乗せして、かつ端数を切り上げるという感じです。こちらの人に聞いてみても、「うーん、いっつも迷うよね」と言います。

驚いたのは飲食店だけでなく、例えば、美容院などでもチップが必要だったことです。あるいは、この夏に子どもを宿泊キャンプに入れましたが、そこでもチップが必要で、請求された費用に、10%くらいを加算し、かつ切りのいい数字まで切り上げて支払いました。正直に言うと、けっこうな金額です。

もちろん、チップは義務ではありません。だからこそ、その塩梅がいつまでたってもわかりません。旧東ヨーロッパ諸国ではそんなにチップは必要ないということでした。実際、ハンガリーのレストランで食事した際には、料金にサービス税が付加されており、チップが不要だったため気楽でした。

 

「忘れ物」に関する考察

日本にいるときから、子どもの忘れ物にはずっと困ってきました。持っていくものを忘れる、持って帰るものを忘れる、のくり返しです。筆箱の中の鉛筆や消しゴムは、いつの間にかなくなっています。保護者会でも忘れ物に困っておられる保護者の方がたくさんいました。そこで毎日夫と子どもが準備するようにしましたが、持って帰るべきものを持ち帰ることができませんでした。

ウィーンの学校でも、水筒を忘れてきた、鉛筆がいつの間にかなくなっているということはやはりあります。でも、なんだか、水筒を忘れる回数が減ってる気がする……。「消しゴムなくした」という子どもに、「教室にあるはずだから探して!」というと見つけてくる確率が上がっている気がする……。しかも、集金などの重要なことを伝えてくるようになった気がする……。

うちの子が成長したのでしょうか? いえいえ、全然…(泣)。要因を探ってみました。

①宿題に不要な教科書やノートを学校に置いてくる。その教科書やノートは、自分で保管するのではなく、全員が教室の指定された同じ場所に置くことになっている。
②体操服は、ほとんど1学期間置きっぱなし。
③家庭から持ってくるように言われるものがほとんどない。集金などがたまにあるが、それは担任教員がアプリのメッセージで知らせてくる。
④教室に「貸出コーナー」があって、鉛筆、色鉛筆、はさみ、のり、定規などがたくさん置かれていて、忘れたらそこから借りることができる。

②は以前の回で紹介したように、体育で公園に行くことが多いため着替えないこと、加えて、乾燥していてあまり汗をかかないというウィーンならではの気候も関係していると思います。また、①-③でわかることは、持ち物が少ないことに加え、日々の持ち物に変更がない、ということです。そういえば、担任の教員も保護者会で「1週間に1、2回、筆箱を点検してください」とだけ言っていました。しかも、消耗品である鉛筆などは④の「貸出コーナー」で補充できるようになっています。

ただ、よく考えてみれば、大人になると忘れ物をしなくなるのではないのだと思います。大人になって会社等で働くようになると、自分の場所に自分のものを置いて帰ることができたり、持っていくものが毎日同じになることが多かったりします。つまり、大人になると、忘れるものがないから忘れ物をしないように見えるだけなのではないでしょうか?

子どもが日本で通っていた学校では、週ごとに時間割が変わっていました。当然それに合わせて、持ち物も変わっていました。さらにコロナ禍という状況も加わり、例えば、毎日必要な給食の用意だけで、「ランチョンマット、口を拭くミニタオル、箸入れ、お箸、コップ、食事中にマスクを入れる袋」があり、「給食袋」にセットしていくのです。なんとそれだけで7点セットです!

そこに日替わりで体操服が加わり、毎日異なる時間割に合わせた教科書ノート一式、筆箱の中には鉛筆と消しゴムと定規……。ああ。帰国しても忘れ物なくすの、無理そうだな…。特に私が…(泣)。

しかし、自分のことは棚に上げることにして、大事なことは、忘れ物をしないということではなくて、学校での学習がスムーズに進行するという目標があって、そのためにさまざまな教材や道具を備える必要があるということです。

消しゴムを忘れたことでその子の学習が阻害されるのではなく、貸出コーナーがあることで安心してその子どもが学習することができるという構造に変えていくことはできないでしょうか。

そうするといつまでたっても自分のものを用意できるようにならない、という声が聞こえてきそうです。しかし、繰り返しになりますが、私たち大人は忘れ物をしないように成長したのではなくて、忘れ物をしないような環境を自分で作り出すことができるようになっただけなのです。

忘れ物をなくすための解決方法の1つは、忘れ物をしない構造に学校や教室を作り替えることではないでしょうか。もちろん、家庭の構造(=整理整頓、掃除)も…(泣)。

教室にある貸出コーナー。鉛筆、色鉛筆、はさみ、のりなど。子どもたちはそれぞれを自分の筆箱やボックスに持っているはずなのだが…。

  

運動会

夏休みも近づいたある日のこと、子どもの小学校から、スポーツフェスティバルのお知らせが来ました。場所は近所の公園で、半ズボンで動きやすい服装と水筒を忘れずにということでした。

「お、こっちにも運動会があるんだ!」と思って、先生に「私も見に行っていいでしょうか?」と聞きました。先生は「もちろん!」と答えてはくれましたが、その反応が、来たければどうぞ、という感じで、私はあれ?と思ったのでした。子どもに「スポーツフェスティバルで何するの? 走ったり、なんか踊ったりするの?」と聞いても「わからない」とのことで、私の「?」は増える一方でした。

正直に告白すると、日本の学校の運動会(や授業参観)に行くのはめんどうくさいと思っているところがあります。でも、運動会があると聞くと「見に行かねば!」という、相反する思いがあることも事実です。運動会は見に行くものという日本の感覚からどうしても自由になれません。

さて、当日、そろそろ見に行こうかというときになって先生から電話がかかってきました。子どもがサッカーでボールを顔にぶつけて鼻血が出たというのです。「え? サッカー?」と思いつつも、あわてて駆け付けました。

幸い、けがは大したことはありませんでしたので、そのままスポーツフェスティバルを見学することにしました。それは全然「運動会」などではなく、各種スポーツを子どもたちが好き好きに体験する、というものでした。サッカー、テニス、空手、クリケット……。

各種スポーツには、インストラクターが1人ないし2人ずつ ついています。このスポーツフェスティバルは、外部のスポーツクラブに委託されて行われています。そのスポーツクラブは、放課後に学校で行われているサッカーやテニスなどを請け負っているところでもあります。

やはり男の子にはサッカーが人気です。テニスやクリケットに挑戦する子どもたちに、インストラクターがやさしく教えています。学校の先生たちは木陰にすわって、休憩している子どもたちや同僚とゆったりとしゃべっています。

スポーツフェスティバルとは、子どもたちが自由に好きなスポーツを体験できる、学期末のイベントだったのです。こうしたイベントは、公教育の中に商業団体が入ってきていると批判的に見ることもできます。ただ、こうしたスポーツ団体は、市からの援助を受けて、夏休みの子どもの預け入れ先としても機能しており、学校教育の外側で、生涯教育につながる子どものスポーツ振興を担っていると見ることもできます。

こうしたこととは別に、この日の子どもたちの笑顔とリラックスした教師たちの様子は、学期末の、夏休みがもうすぐだという期待を感じさせる、とても印象的なイベントでした。そして、それは私たちの1年間にわたるウィーンの滞在がもうすぐ終わるということを意味するのでした。

伊藤実歩子(立教大学文学部教授)

 

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