ウィーン・飛ぶ教室///第12回:オーストリアの国語―型はめ教育はどっちだ?―

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日本標準

オーストリアの公用語はオーストリア・ドイツ語です。国境が接している地域よっては異なる言語も少数ですが話されています。ここでは、教授言語としてのドイツ語の授業を見てみましょう。

ドイツ語は正書法といって、まずは単語の綴りがとても重視されます。音声を聞いてアルファベットで書き表す、いわゆる書き取りです。おもしろいのは、2年生になると万年筆を購入するように言われ、筆記体を学習します。日本の書写の授業に相当するのかもしれません。

万年筆と書き取り

 

オーストリアの子どもたちは何を作文するか

しかし今回は日本と共通する国語の授業を取り上げてみましょう。それは「作文」です。一口に作文といっても、いろいろです。わたしが子どものころは、作文と言えば、読書感想文とか、夏休みの日記とか、行事ごとに思い出を書いた/書かされたということを思い出します。うちの子どもも普段の宿題として日記を書いていましたし、夏休みの絵日記も提出しました。

こちらでは、日記の宿題はでません。代わりに、週末に何をしたかをみんなの前で話すということをしているようです。オーストリアを含め、ヨーロッパでは、書くことと同じくらい話すことの能力を重視しています。

自分の好きなことをポスターにまとめて、5分くらいで発表する機会も与えられています。ただ、これは自宅でやってくることになるので、保護者も大変です。

さて、オーストリアの子どもたちは何を作文するのでしょうか?

オーストリアを含むドイツ語圏に共通しているのは、「お話を作る」ことです。想像のお話を自分で作るのです。ただし、想像だからといって何でも書いていいわけではありません。この場合、お話とはメルヘンや寓話を指しています。

読者の皆さんは、両者の違いがわかるでしょうか? 前者は、民間に伝承された空想的な物語、例えばグリム童話などが相当します。後者は、教訓を含む短いたとえばなしで、有名なところではイソップ物語などがあります。

ここでは、メルヘンの場合を見ていきましょう。まず、「これらのメルヘンを知っていますか?」とあり、ヘンゼルとグレーテル、白雪姫、シンデレラなどがあげられています。こうしたメルヘンは教師が事前に子どもたちに読み聞かせをしてきたようです。

次に、反対言葉の形容詞を学びます。メルヘンには「良い(gut)」登場人物と「悪い(böse)」登場人物がいるのがお決まりですが、ほかにも例えば「金持ちの・貧乏な」「美しい・みにくい」「早い・遅い」「勤勉な・怠け者の」「勇気のある・臆病な」といった対になる言葉が多用されています。

また、メルヘンに典型的な始まり方(「むかしむかし、あるところに…」「大きな森に住んでいる…」「ある国に王様とお姫様が住んでいました」)も学びます。もちろん、「そして2人はいつまでも幸せに暮らしましたと」などの終わり方もそうです。

あるいはまた、メルヘンの定義を確認することも行われます。例えば、「メルヘンには良い登場人物だけが出てくる」、「メルヘンではときどき動物がしゃべる」、「メルヘンではよくお姫様と王子様が出てくる」「メルヘンには、現実には絶対にない魔法の場所は出てこない」「メルヘンには特別な意味を持った数字が出てくる」といった文章が正しいかどうかチェックを入れます。

メルヘンを書くためには、メルヘンによく出てくる単語の練習もしなければなりません。「王様」「お妃様」「お城」「塔」「魔女」「騎士」「ドラゴン」「オオカミ」などです。

ほかにも、おまじないの言葉(「鏡よ、鏡、この世で1番美しい人はだあれ?」「開け、ごま!」)を確認しておくことも必要です。

そうしたうえで、メルヘンを構成する要素として、「登場人物」「話す動物」「(物語の中で与えられた)任務と奇跡」「魔法の場所」「敵や危険」「魔法の数字」などを考えます。そして、メルヘンを書くときのヒントとして次のような点が示されています。

 

  • タイトルを考える
  • それから、物語の「はじめ」「まんなか」「おわり」を考える
  • 反対の形容詞を使う
  • メルヘンの最初の一文と最後の一文にどの文章を使うか考える
  • 登場人物にしゃべらせてみる。それが人でも動物でも
  • 登場人物を魔法の場所に登場させてみる

 

自分の気持ちを書かない作文

こうしたドイツ語の作文の授業を見てみると、意外にも、型に従って書くという特徴があるようです。ここではメルヘンの創作に関するプロセスを見ましたが、こうしたお話の創作は3年生、4年生になっても繰り返し出てきます。

ドイツの国語教科書の例をいくつか挙げてみましょう。

 

  • 草が生い茂る古い扉の絵を見て、お話を書く。(第3学年)
  • 嵐の中、田舎の道を自転車を押しながら歩く二人が描かれた絵を見て、友達が作った文章に自分の文章をつなげて一つのお話を完成させる。(第3学年)
  • 夜遅くに森を通って家に帰る道のりで怖かった時のことを書いた挿絵と文章があり、怖いという感情を表現した部分を、より生き生きとした単語や文章で修正する課題。(第4学年)
  • 多くの人間が普通に生活している巨大な宇宙船の絵を見て、お話を作る。(第4学年)
  • 4コマ漫画の最後を描く。(第4学年)
  • お話を読んで、ラストを考える。(第4学年)

 

上記の作文の課題を見てみると、「自分の気持ちを書かない」という特徴があることに気が付きます。この特徴は、日本に住むわたし(たち)が自分の気持ちを書く作文を書いてきたからこそ見いだせるものです。国語の授業で、登場人物の気持ちを想像したり、自分の思ったことや感じたことをありのまま伝えることが大切だと教えられてきたからです。

一方で、こうした自分のありのままの気持ちを書くことが困難な場合があります。特に書くような出来事が何もなかった時、あるいは、悲しい気持ちや怒りを書くのはためらうこともあるでしょう。

そういう場合にメルヘンの創作はとてもよいのではないでしょうか。自分の経験や気持ちをありのまま書かずとも、メルヘンや物語を創作することによって、登場人物に自分の願いを託すことも、あるいは単にメルヘンの型にはめて創作することも自由だからです。そして、およそどこの国にも昔話というものがあり、実はメルヘンはとてもグローバルなコンテンツであることもポイントです。

型にあてはめて創作するということは、図画工作の授業にも当てはまります。これは子どもたちが描いたひまわりです。日本の小学校でも、静物画としてひまわりを書くことがあるかもしれませんが、これはゴッホの「ひまわり」のオマージュです。子どもたちはゴッホの作品をしばらく見たうえで、ゴッホの「ひまわり」を制作します。立体感を出すために、花の部分には紙皿を使っています。

 

 

日本では近年、「はじめ・中・おわり」といった作文の構成を指導するようになってきましたが、そこで使用される言葉や接続詞などは特に細かくは定められていません。作文の書き方を初めとして、学習する内容の何を、どこまで定型化するのかについては議論の分かれるところです。

自由に発言し、自由に自分を表現しているかのようにイメージされがちなヨーロッパの教育が、作文教育においては、日本以上に「型はめ」の傾向があるということはとても興味深いと思います。

 

【参照】伊藤実歩子「日本とドイツ『書くこと』の教授学」立教大学教育学科研究年報第61号、2018年、pp.79-93。

 

伊藤実歩子(立教大学文学部教授)

 

筆者注


なお、コロナの状況やそれに関する法案やルール、またあるいはウクライナを含む世界情勢については、日々情報が更新されます。この記事がアップされる頃には全く様子が変わっているということもあります。できるだけ正確に書いておくつもりではあるのですが、このエッセイ全般にわたり、現在の状況を書いたものではないことをご理解いただきたく思います。

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