ウィーン・飛ぶ教室///第10回:デモする人々②―ワクチン接種義務化法案反対デモと静かなデモ―
コロナ接種義務化反対デモ
10月半ばを過ぎると、オーストリアでは徐々に感染者数が増加してきました。
2021年11月20日土曜日の午後、子どもコンサート(子ども向けのコンサートがウィーンではたくさんあります。このことについてはまた後日お話しします)の帰りに「コロナワクチン接種義務化反対デモ」に遭遇しました。
次週からのロックダウンがほぼ決定したなかで、ちょうどこのころから盛んに議論されていた成人へのワクチン接種を義務化するための法案に対する反対のデモです。
デモには多くの人々が集まりますので、屋外ですが、マスクを着用し注意してデモの様子を観察することにしました。
接種義務に反対する人々は、「接種の強制は反対!」「自己決定の権利がある」というプラカードを掲げています。「自分の体のことは自分で決める」と書いたものもあります。
おどろいたのは、医療関係者の義務化に対する反対意見表明です。現役の医師や看護師が接種の義務化に反対だというのです。
それは自分たちの仕事が増えるからではなく、接種はあくまでの個人の自由だという主張です。「2019年は(医療従事者として)英雄扱いで、2020年は(接種しないからといって)クビにするというのか!」というのです。
あるいはまた、新興宗教団体の「パンデミックはフェイクだ。聖書を読めばわかる!」というプラカードも見かけました。実にさまざまな人々が接種義務反対デモに参加していました。
病院で使用する防護服を着ているので、医療関係者だと思われる。接種義務に反対と書かれたプラカードを持っている。
ヘルデンプラッツの向かい側のマリア・テレジア像の前にも続々と接種義務反対の人々が集まっている。手にしているのはオーストリアの国旗。
こういう人々を見て、うちの子どもたちは、「ママ、これは何のデモなの?」と聞いてきます。気候変動のデモを見た子どもたちはそれとは違うと気が付いたようです。
そこでわたしは「ワクチン接種に反対の人たちのデモだよ」と簡単に答えました。
すると子どもたちは「では、N(自分のこと)もワクチン反対だ!」「Sも!」というのです。もちろん、子どもたちは注射が嫌いだからです。
そして、ドイツ語が少しできるようになった上の子は「Ich bin Impfgegner!」、つまり自分もワクチン接種反対だと大きな声でいい、それを聞いた下の子も、同じように「Ich bin Impfgegner!」と声を合わせたのには少しあわてました。
しかし、なぜ私はあわてたのか?それは、子どもが「注射は痛い。注射なんかしたくない!」ということと、デモをする人々の「接種は個人の自由だ」ということと、何がどう違うのか、ということを実はじっくりと考えたことがないままだということに気が付いたからなのでした。
わたしはその少し前に行った美容院の美容師さんとの会話を思い出しました。
ちょうど3回目のブースター接種が話題になっていた頃でした。
その美容師さんは言いました。「政府は噓ばっかり言ってる。最初は、マスクをして距離を保てばよいといい、マスクを強制した。次に、ワクチンを2回接種すれば、元の生活に戻れるといった。でも、結局、元の生活になんか全然戻れず、今回また3回目を打てと言ってる。わたしは3回目は打たない」と。
「ほんとに打たないの?」とわたしが聞くと、「仕事をしなければならないから、会社が打てと言えば打つだろうけども……」と話しました。
これがオーストリアの人々の本音なのだと思いました。彼女のドイツ語のアクセントから、この国にたくさんいる移民(あるいは親などが移民の背景を持つ)の1人であることも想像がつきました。
結局、髪を切り終わるまでに、私はこの美容師の彼女に反論することはできませんでした。なぜ自分は接種したのか、なぜ3回目を接種するつもりなのか、メディアで識者が言っているきれいごと以上の言葉が見つからなかったからです。
「政府は退陣せよ!」というシュプレヒコールを聞きながら、あの美容師の彼女はこのデモに参加しているのだろうかと、帰り道に思ったのでした。
静かなデモ
2021年12月19日日曜日、18時半過ぎから、ウィーンの旧市街を囲む環状道路、通称リングに、たくさんの人々が集まってきました。皆それぞれ手にはろうそくやランタンを持っています。
静かなデモの様子
これは、高校教師のランダウ(Daniel Landau)らが呼びかけた静かなデモの集まりです。「#YesWeCare」をモットーに、オーストリア国内のコロナでなくなった13000人余りの人々に思いを寄せ、いまだコロナと最前線で戦う医療従事者や生活インフラを支える人々に感謝をするために、12月19日19時から10分間だけ、ろうそくやランタンやあるいは携帯の光を持ってリングに集まろうというものでした。
主催者は、屋外で、19時から10分間だけ人々が集まることによってコロナに感染することがほとんどないことを、感染症の専門家に確認しているということでした。
わたしは家の近くの市庁舎前のリングに行きました。すでにたくさんの人々が道の両側にいます。
しばらくすると、リングの車両通行は警察によって止められ、人々はリングの中に入って、持ってきたろうそくに火をともしたりし始めました。風が強く、ろうそくの火はすぐに消えてしまうのですが、人々は火を分け合っていました。
わたしの小さなろうそくもすぐに火が消えてしまうもので、隣にいた高齢の女性に火を分けてもらいました。その女性は、亡くなった人々や医療に従事している人々に思いを寄せたいこと、また、接種反対のデモはあっても、接種賛成のデモはないから参加したのだといっていました。
また自分の祖母と参加した男性は、このイベントの趣旨に賛同したが、接種義務化については専門家でないからわからないといっていました。
この集まりは、通常のデモとは異なり、シュプレヒコールやプラカード、太鼓やラッパや音楽といったものも何もありません。
人々はそこに集まり、火を分かちあいながら、10分だけ明かりを灯し、リングの向こうから静かな拍手の波が来て、自分たちも拍手をしながら、その拍手の静かな波を送り、集まりは終わりました。
主催者は、この集まりを、接種義務化反対デモの「反対デモ」ではないことを強調しました。接種義務に反対する人々には、政府に対してそれぞれに主張があるのだろうというのです。しかし、暴力にだけは反対する。
この静かな集まりは、オーストリアの別の側面を内外に示すためでもあるとも言いました。
ウィーンの冬は寒く、夜も遅かったので、子どもたちは連れていきませんでした。すでに接種義務反対の暴徒化したデモの様子をたくさん見てきていたので、夜に多くの人々が集まるこのイベントで何が起こるか、少し不安だったこともあります。
実際、警察も多く出動していました。しかし、終わったからこそ言えることかもしれませんが、わたしはこの風景を子どもたちに見せるべきだったと後悔しています。
あの風景の中には、コロナで亡くなったたくさんの人々と今なお私たちの生活を支える他者に対するオーストリアの人々の想像力が、あの光の海となって具体化されていたと思うからです。
しかし残念ながら、接種義務化の反対デモは繰り返され、次第に激化していきました。ときには4万人もの人々が集まったと報道されました。これは、日本のニュースでも大きく取り上げられました。デモ参加者のうち、暴徒化するのは一部だったのですが、それのみが大きく報道されることによって、接種済みの人々も、未接種の人々も、接種義務について深く考える機会を失ったようにも思いました。
結局、接種義務化法案は当初の予定通り、2022年1月21日に可決されました。2月より施行され、3月からは未接種者には罰金が科されるというものです。
しかし、ワクチン接種が本当に義務である必要があるのかという議論は続けられ、オミクロン株の重症者がデルタ株に比べて少ないこと、病床数に余裕があることなどから、一転して、3月になってこの法案は1か月で廃案となりました。
この接種義務に関しては「コロナ・ウィーンは踊る」とでも言うべきドタバタ劇が繰り広げられました。
政治的に何か重要な動きがある。その時に人々はそれぞれの意見を持って集まり、デモをする。政治家に届くように、大きな声でその主張を一緒になって叫ぶ。あるいは光をもってただそこに集まり、人々を思う。
ウィーンに来てこうしたさまざまなデモを見て、わたしにも労働者として、親として、子として、女性として、叫びたいことはたくさんあると気が付きました。
伊藤実歩子(立教大学文学部教授)
筆者注
なお、コロナの状況やそれに関する法案やルール、またあるいはウクライナを含む世界情勢については、日々情報が更新されます。この記事がアップされる頃には全く様子が変わっているということもあります。できるだけ正確に書いておくつもりではあるのですが、このエッセイ全般にわたり、現在の状況を書いたものではないことをご理解いただきたく思います。
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