【後編】歴史とごはんと~社会科資料集6年~

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日本標準

歴史で学ぶことの1つに、人のくらしのうつりかわりがあります。歴史が進むにつれて、私たち人間の食事も変化していきました。社会科資料集6年では、日本のうつりかわりについて、主なできごと、主な人物と文化遺産、そして食事の様子の視点で、それぞれ年表でまとめています。
今回は前編からの続きで、平安時代から昭和時代まで、くらしと食事の変化を見ていきましょう。

1.武士と町人とごはん (平安~江戸)

貴族が都ではなやかな生活をしていたころ、地方では武士が出現して、しだいに力をつけていきました。やがて、武士たちは、都で起きた朝廷や貴族の争いに関わって勢力をのばし、武士が中心となって政治を動かす時代となっていきました。

貴族のくらしと武士のくらし

貴族と武士のちがい

社会科資料集6年では、貴族のくらしと武士のくらしの違いが一目でわかるように、対となる見開きページで掲載しています( 上の図 / 社会科資料集6年44~49ページ )。くらしの紙面では、絵巻、服装、食事、1日のすごし方が紹介されていて、くらしにどのような違いがあるかを比べながら学習することができます。

また、貴族のやしきと武士の館は、それぞれ、折り込みで大きな一枚のイラストになっているので、ページを開いて見るとかなりの迫力があります。イラストが大きいと、細かい部分までしっかり確認することができるので、やしきや館でどのようなくらしをしていたか想像しやすくなりますね!

武士の食事 (鎌倉時代)

武士の食事

武士の食事は、1日2回でした。玄米のごはんと、おかずは汁と野菜料理が中心の質素なものであったと考えられています。

 

江戸時代の社会と文化

武士が中心となって政治を動かす時代は、平安時代の終わりから、鎌倉時代、室町時代、江戸時代へと進んでいきます。今から約420年前に始まった江戸時代では、政治が安定し、大きな戦いが起こらない平和な時代が約260年続きました。江戸時代の社会は、武士、百姓、町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました。

花開く町人文化

江戸時代、社会が安定し、経済が発展する中で、さまざまな文化や年中行事、娯楽が生まれました。社会科資料集6年74・75ページでは、上の図のように、江戸時代の人々が楽しんだ文化や行事などを見開きでまとめています。掲載されている資料を見ながら、現在と違う点や似ている点などを話し合ってみるのはいかがでしょうか?

屋台で人気の食事

町人の食事

江戸のまちでは、さまざまな食べ物の屋台が発達しました。特に、そば、にぎりずし、天ぷらなどは人気の食べ物だったそうです。にぎりずしは江戸のファーストフードともいえる食べ物で、サイズは今よりも大きめだったようです。実際の大きさがどれくらい違うかは、記事の後半でご紹介するのでお楽しみに!

 

うなぎ小話

うなぎ小話

江戸時代のアイデアマンとして社会科資料集6年77ページに紹介されている平賀源内という人物には、こんな逸話があります。
あるとき、うなぎ屋の主人が源内に相談しました。

うなぎ屋

夏はうなぎが売れないんだ。とても困っているよ。どうしたらいいかな?

平賀源内
平賀源内

なるほど。それなら、「夏にうなぎを食べると元気になる」といった内容で宣伝文を考えてみよう。

この宣伝によって、以後、夏の暑い時期にうなぎを食べる習慣が生まれたと言われています。現在でも続く、「土用の丑の日」にうなぎを食べる習慣の始まりです。
※土用の丑の日にうなぎを食べるようになった由来については諸説あります。

2.文明と戦争とごはん (明治~昭和)

江戸時代では、江戸幕府が貿易をする国や場所を制限しており(鎖国とよばれる政策)、外国との交流はいくつかの窓口を除いて制限されていました。ところが、江戸時代後期になると、日本の近海に外国船が現れるようになり、幕府はついに鎖国の状態をやめて開国をしました。その後、江戸幕府が倒れて明治時代になると、西洋の考え方や制度、技術などが日本にも取り入れられ、洋服を着る人や西洋風の髪型にする人も増えました。

文明開化とくらしの変化

明治時代

西洋の文化を取り入れようとする活発な動きは、人々の生活様式や、ものの考え方にも大きな影響をあたえました。社会科資料集6年82・83ページでは、上の図のように、明治時代と江戸時代の日本橋近くの絵画資料を掲載し、文明開化によるまちや人々の様子の変化を比較できるようにしています。また、明治時代になって登場したものも紹介しています。

西洋風の食事

文明開化とともに、西洋の料理が日本にも取り入れられるようになりました。江戸時代までは食べる習慣がほとんどなかった牛肉も、文化人だけでなく、一般庶民の間にも食べる習慣が広まりました。また、西洋のパンと日本のあんこを合わせたあんぱんが考案され、明治天皇にも献上されました。

 

戦争中の食事

戦争中の生活

明治時代以後、日本は西洋の制度や技術に学びながら近代化を進めていき、憲法と議会をもつ近代国家となりました。一方、世界では、たびたび大きな戦争が起こり、日本も関わっていきました。今から約90年前の昭和時代のはじめには、世界中が不景気となり、ヨーロッパでは1939年に第二次世界大戦が起こります。同じころ、日本は中国との戦争から戦場が広がっていき、1941年にはアメリカやイギリスなどの国々と争う太平洋戦争が始まりました。戦争が長引き生活物資が不足してくると、生活必需品の統制が厳しくなりました。社会科資料集6年99ページでは、人々の生活に制限がかけられたできごとを年表(上の年表)でまとめ、戦争中のくらしが厳しくなっていった様子がわかるようになっています。

戦時中の食事

主食である米が配給制になるなど、食料不足が深刻になる中、すいとんなどが米の代用食となりました。すいとんは、小麦粉を水でこねてだんごにし、みそ汁などに入れて煮たものです。このすいとんも、小麦粉が手に入らなくなると海藻の粉で代用しました。

3.歴史とごはんとまとめ

歴史とごはんと~社会科資料集6年~はいかがでしたか?
前編と後編で、縄文時代から昭和時代まで、人々のくらしのうつりかわりと食事の変化をまとめていきました。社会科資料集6年では、記事でご紹介した内容のほかに、授業で活用できる資料をたくさん掲載しています。機能性バツグンなしゃかWEBと合わせて、是非お使いください♪

4.江戸時代のにぎりずしは大きかった! (おまけ)

にぎりずしは江戸時代後期、1800年代前半ごろに誕生したと言われています。当時のにぎりずしは江戸の近くでとれた魚や貝を下処理して作っていたそうです。サイズは今のにぎりずしよりも約2倍大きく、ごはんに使う酢飯も今とは異なっていたようです。前編で蘇をよみがえらせた人間としてこれは見逃せません!

と、いうことで江戸時代のにぎりずしを再現してみました。

寿司の比較画像
↑左側2つが江戸時代のにぎりずしの再現、右側2つが現在のにぎりずし

現在の酢飯は、酢と塩と砂糖をお米に混ぜ合わせて作ります。江戸時代の酢飯は、赤酢と塩のみで作っていたようです。また、マグロも生の刺身のままではなく、下処理をして漬けたものを使っていました。そしてなんといっても、現在のにぎりずしの2倍という圧巻のサイズ!

参考:『ビジュアル・ワイド 江戸時代館』(小学館、2002年)
参考サイト:株式会社 Mizukan Holdings 『すしラボ』

早速食べてみましょう!(ワクワク!)

 …。

 ………。

にぎりずしは、素人が作るものではなく、職人が作るから美味しいことがとてもよくわかる味でした。
どんな味だったかは、ご想像にお任せします。

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