さあ、4月だ
4月2日の日曜日、薄曇りの朝。庭の梅の実が膨らみ始め、散歩コースの桜並み木は満開を過ぎた。
長く教育・教材出版社の仕事をしていて、とにかくこの時期は落ち着かない。
新年度がスタートする4月は、私たちにとってこの年度を左右する大事なときだ。
少子化とデジタル化の二つの大波の中で、学校教育にいかに貢献できるか、私たちの仕事が試されている。
全国のお仲間とともに、全力で取り組みたい。
最近耳にした、気になる言葉がある。「対話型AI」だ。
文字で質問を入力すると、自然な文章で回答してくれる機能だ。どんな質問にも答えるらしい。
このAIの進歩は怖ろしい・・・。
この答えには責任が無い。ビジネス上でも利用が広がり、その責任不明の性格上、問題も起こっている。
教育場面で言えば、(子どもの苦手な)読書感想文などで、この機能に助けを求める子どもも増えそうだ。
さらにだ。自民党は国会答弁に活用する検討をしているという報道を読んだ。
こうなると、・・・国会では、AIのつくった文を「読み上げる」大臣が出てくるということか?
どこかの国では、その危険性の大きさから使用を中断したらしい。
気になっているだけで、私は詳しくは認識できていない。
しかし、個々人の思想や表現そのものにまでAIの力を利用するようになると、もう、それはその人の思想でも表現でもなくなる。アウトだと思う。
技術の進歩で利益を生み出すことを優先していると、人間がどんどん人間でなくなっていくようで怖い。
人間の知恵とか進歩というのは、ながーい時間を経てから見てみると、実は退歩だったり過ちだったりすることがある。
よく考えるときが来ていると思う。
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