気になる表現「異次元の○○」
3月26日の日曜日の朝。小雨模様で、今日は2月並みの寒さになるらしい。
この冷え込みで、満開の桜の花見どきが少し延びるかな。
来週からは4月新学期、子どもたちのそれぞれ新しい世界が始まる。
さて、タイトルの「異次元」だ。
政府は「異次元の少子化対策」と言って、「児童手当の所得制限撤廃」「無償化の年齢制限の引き上げ」などを提唱している。
政策に文句はない。(ただ、その資金の出どころとなると大きな問題だと思うが)
私が気になって仕方がないのは、「異次元」という表現である。
なぜこれが異次元なのかさっぱりわからない、というか言い方が気持ち悪い。
異次元とは、「ふつうとは全く異なる」というような意味のはずだ。
であるならば、今出されている政策は「異次元」ではない。お金の出どころさえ納得できれば分かりやすい政策だ。
さらに驚いたのは、メディアの報道ですべて「異次元の少子化対策」と語っていること。
これは、すべてのメディアが「異次元」と思っているというより、政府が「異次元の○○」と言っているから、それをそのまま使用している、という責任転嫁法なのだ。
私は問いたい。 あなた方は、本当に「異次元」の政策と思っているのですかと。
報道機関は、その社会的立場をふまえて、責任を持って言葉を発しなければならない。
「異次元の○○」と括弧にくくって責任転嫁している。つまり無責任。
同じような気持ち悪さを感じる言葉がある。 これも前回も書いたが「骨太の○○」という政府の表現だ。
これもまた実にあいまいで、国民生活に影響する問題で使うのは不適当だと思う。
「異次元」とか「骨太」などの言葉は、受け止めるほうが感じることで、押し付けるものではない。
コロナ禍から3年、ネット社会の中で、言葉がどんどん刹那的で過激になっているようだ。
日本語の、豊かで繊細な表現を思い出してほしい。私は今そんなことを心配している。
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