とにかく、おかしい
9月11日の日曜日。 昨晩は中秋の名月で、天気も良く、見事な月夜だった。
しかし、世の中は見事でも何でもない。おかしなことが多い。
旧統一教会関連の会合への出席を問われた現職大臣山際氏は「報道を見る限り、出席したと考えるのが自然だ」とおっしゃった。
誰のことだ! 自分のことだよ! 何という言い方だ。
また同じ協会関係で自民党が実施した調査(ではなく自主的な報告らしいが)で、その内容のばらつきについて「正直者がバカを見た」と発言されている人がいると。 どんなバカを見たのか聞きたい。
もう一つ、別の話。
NHK番組で「五輪反対デモの参加者が、実はお金をもらって動員されていた」と報道したが、それは捏造だった。
ひどい話だ。捏造は偶然では起きない。意図的である。 (これでまた受信料支払いが滞るなあ。)
こんなひどい話を、子どもや若者はどう受け止めるのだろうか、という視点で私は考える。
昨日の報道でこんな記事も。
「小学教員の採用倍率最低 3年連続更新」である。 2.5倍は確かに危機的である。
何の危機かというと、「教師力の維持」の危機であり、「学校現場の働き方改革」の危機である。
なぜだろう?
政治家は、選挙のとき、ほとんどの人が「教育の充実」を言う。でも選挙後は記憶喪失になるらしい。
おかしいことを、おかしいと言うことが大事なときなのではないか。
コメント
コメントがありません