言葉の大切さを 秋の気配の中で
9月4日の日曜日の朝。 秋の休日の朝は静かだと思う。
今朝のウォーキングで感じたことだけど、あの暑かった8月の空気や風は、私たちをイラ立たせた。
今朝は、歩いていても、しっとりと静かな風が私の心を落ち着かせてくれた。
さて世の中はそんなしっとりとは、なかなかいかない。 今朝は言葉の問題を。
先週会社での会話で、「リ!」という表現が話題になった。
子どもが、「了解!」の意味で「リ!」という返事を送ったという話だ。
できるだけ簡単に、言葉を略してしまう。 スマホやSNS社会の影響だろうか。
確かに私の孫からのラインは、猫のキャラクターがペコリと頭を下げている(それだけ!)。
夏の日照りのなかで空気が蒸発するように、言葉が減っているように感じるのは気のせいか。
言葉は、人間が人間であるための最大の手段である。 他の生き物との決定的な違いでもある。
言葉を使って、話し合い、相談して、知恵を出し合い、そして助け合い、工夫を重ねてきた。
日本語はすばらしい。 (「好き!」という表現が10通り以上ある国なんてほかに無い!)
「殺すのはだれでもよかった、人を殺して死刑になりたかった」という事件が最近起こる。
何を馬鹿な! と思うが、きっと深くて大変な事情もあるのだろうとも思う。
この犯人には、事件の前に周囲に「話せる、相談する、聞いてくれる」人がいなかったのではないか?
話す言葉を、持ち合わせていなかったのではなかろうかと思うのだ。
心を静めてくれるこの秋に、あらためて言葉の大切さを考えてみたいと思う。
〈参考〉「日本語が亡びるとき」水村美苗著 筑摩書房
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