ヒトは、なぜ1年早く生まれるのか
5月7日の日曜日。 そう、G・Wの最終日だ。
去年は5月6日(金)が出勤日だったが、今年は5連休になった。
わが家は、静かに、ただ静かに、5連休を過ごした。
5時に起床、ウォーキング。1日3回の食事の準備、掃除や片づけなどをして、必要に応じて昼間に食材等の買い物。お風呂に入れて、入って、あとは、午前に2時間、夜に1時間半ほど机につく。
近くの公園には2回、コンビニでおにぎりを買って出かけた。
これで5日間を言い尽くした。
そして、私が仕事を辞めたら、こんな毎日になるのだろうか、と少し想像した。そして単調で静かだが、悪くないかなとも思った。
さて、標題である。
ヒトは、なぜ他の動物より1年早く生まれるのか?(ポルトマンの生理的早産説)
「教育を ひもとく」(田中耕治先生ほか 有斐閣)のなかに、このことについて、とても納得のいく解説があった。
「人間は二足歩行により神経系の高度な発達を実現するのみならず、言語を得たことにより、複雑な社会システムや文化を発展させてきました。」
「こうした人間世界に適応する上で、母胎内での完成度よりも、出生後の身体機能・精神機能の伸び代を優先したのが、生理的早産の意味でしょう。」
すると、ピアジェの言う発達段階論(知的発達における2段階の質的飛躍)を可能にしたのが、生理的早産ということになるのではないか。
「(子どもの)発達段階のそれぞれの時期は、大人になるための手段や過渡期としてではなく、それ自体完結した価値やかけがえのなさをもつものといえ、その時期にこそ可能な世界にどっぷりと浸る経験を保障することがまずは大切です」
早期教育が叫ばれるこの頃ではあるが、人間の発達の自然な流れに沿った、子ども期ならではの豊かな経験の積み重ねこそが、重要なことだと思った次第だ。
教育も子育ても、そんなところから考えたいものだ。
2017年のG・Wに学んだこととして、記憶しておこう。
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