大学2年生問題を考える
2月6日の日曜日、快晴の朝。
暦の立春をあざ笑うかのような、厳しい寒さだ。
コロナ禍も、2年を超えた。
緊急事態宣言を出す考えが無さそうな政府だが、人々の毎日の生活は刻々と追いつめられている。
医療、福祉、(公)教育分野のひっ迫状況は、そのスコアボードのようなものだ。
濃厚接触や自宅待機の基準がわからなくなった。
感染の心配があって電話で相談すると、それを聞いた医師が感染か否かを判定する・・・。
オイオイ、そんなんでいいのかよ!
「こちとら生活がかかってんだよ!」と言いたい。
このことで、発表される感染者がいかにあいまいな数字かがわかる。
数日前に読んだ新聞記事に「際立つ2年生の孤立感」というのがあった。
小学校ではない。大学生の話だ。
入学直後からコロナ禍が深刻になり、いわゆる大学生活を送れていない。
「入学した実感がない」「もう学生生活はあきらめた」など。
もうすぐ3年生になったら、就職活動が始まる。
面接の場でどんな会話をするのだろうか。
「どんな学生生活を送っていますか?」と質問されたら。
そんな質問しないか。 できないな。
3回目ワクチン接種がこれだけ遅れていて、ヨーロッパをまねてピークアウト宣言でもするつもりなのだろうか。
人を預かっている者として正直難しい。自宅待機か出社かを判断するのは。
このまま年度末を迎えそうな学校も大変だ。
小学6年生をどう送り出すのか。新1年生をどう迎えるか。
臨採の先生は3月でいなくなるし、もうメチャクチャ慢性的に人出不足だし。
さて昨日は妻の三回忌。お墓詣りだけの。
花を用意していったら、新しい花が供えられていた。お線香の煙があがっていた。
だれか、故人を偲んでくれていた。
・・・こんな世の中で、心に沁みる。
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