何もかも、あやふやで

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日本標準

1月30日の日曜日。朝陽が部屋のなかに差し込んでいる。

大寒が明けるのが、待ち遠しい。

 

ウイルス禍は広がる一方で、何も見通しが立たない。

自宅療養者が増えている。具合が悪くなったらすぐ連絡をと言っているが、保健所にも病院にも簡単に連絡が取れないはずだ。人々が放置される事態になったということなのだろう。

 

学校や保育園の休校や休園が広がっている。

休校や休園のほうが良い理由はほとんどない。

もう今は、家庭のほうが感染リスクは高くなっている。

私は仕事がら学校の様子は知っている。今も先生たちは1人で4人分の仕事をしている。

「授業」「消毒とディスタンス」「オンライン学習」「保護者対応」だ。

もう、ヘトヘトもいいところ。限界を超えている。とっくに。

でも、使命感で頑張っている。

 

子どもにとっては、自宅にこもっているより学校のほうが余程安全なのだ。そして楽しいし。

休校なんてしないほうがいいに決まっている。

ただそろそろ、先生自身が感染したり濃厚接触者に指定されたりで登校できなくなってきたということだ。

政府のウイルス予防や対策の説明は、もう何もかもあやふや。

ワクチン接種を早めるといっても、世界でいちばん遅れているのでは?

 

そんななか、私事では妻の三回忌が目の前に。

昨年の一周忌もそうだったが、今年の三回忌も集まれない。

妻がこの世から去った直後から、ウイルが広がり始めた。(妻はウイルス騒動を知らない)

不幸中の幸いだったのか、そうでないのかはわからない。

私は、毎週墓参りをして墓碑に話しかけるだけだ。

 

何もかもあやふやなウイルス対策、それはウイルスそのものよりも私たちの生活を脅かしているのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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