記憶
3月13日。 日曜日ではなく、雨の土曜日。
周りがとても静かで、ふと書きたくなった。
震災を過去のこととして捉えるのではなく、現在も続いていることとしてとらえる必要があります。
今なお様々な困難を背負いながら、その苦難を乗り越えようとたゆまない努力を続けている人々を思い、安らかな日々が一日も早く戻ることを願います。
これは3月11日の追悼式典での、天皇陛下のお言葉の一部である。(私のメモから引いたので、表記は不正確。)
被災者の方々への、心からのやさしさが強く印象に残った。
私の伴侶は、佐藤愛子さんのエッセイが好きだった。
今その本をパラパラとめくると、少し難しそうな漢字の熟語に鉛筆で線が引かれているところがある。そして、そこに読み仮名が書いてある箇所も。
病に倒れ、高次脳機能障害になった妻から、「これ、何て読むの?」「どんな意味?」などよく聞かれた。
教えたところは読み仮名を書き、読み仮名が無いところは次の機会に私に聞こうと思っていたところだ。
大事な人を失った世界中の誰もが、さまざまな小さなことで、例外なく悔いている。
・・・時と共に記憶がうすれてほしいのか。あの時のまま、いつまでも生々しくあってほしいのか。わからなくなって、天を仰いだ。
同じく一年前に伴侶(藤田宜永氏)を亡くした、小池真理子さんの文から抜き書きした(3月13日付、朝日新聞)。
静かな雨の休日、
人は、それぞれの「記憶」に浸ることもあるのだろう。
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