もっと、言葉を大切に
10月11日の日曜日の朝。
こちら埼玉では雨がやんだが、関東の海沿いの地域はまだ大変らしい。
TVでは、前の台風被害で屋根の修繕もできていないのにまた台風が来てどうしようもないと房総の住民が嘆いておられた。
さてコロナ禍が始まって半年を過ぎた。
社会全体が半強制的引きこもり状態になって、いろいろな状況が生まれている。
コロナによって、コロナ以前からの弱点が明らかになってきたようにも感じている。
その一つが「言葉の力」の弱まりではないか。
日本学術会議の会員候補を任命しなかった理由を聞かれて「総合的、俯瞰的に判断した」というのが政府の説明である。その後に説明が続けばいいけど、それだけだ。理由を聞かれて理由の説明が無いとはどういうことだろう。
「総合的、俯瞰的」というのは様子であって中身ではない。
なぜ、国の代表者が「なぜ」を説明しないのだろうか。
「学び」とは「なぜ」を考えることだ。「わかる」とは「なぜ」を見つけることだ。
コロナ禍以降、リモート、オンライン、ネットワークなどの用語が飛び交い、世の中が変化対応している。必要なことだ。
これらはみんな「言葉」「伝達」の技術改革だ。
さまざまな状況の中でも、的確な言葉で、相手に正確に伝わることが目的だ。
国は「デジタル庁」を新設した。
これはパソコンやタブレットを普及させることではなく、デジタル技術を駆使した、正確な「言葉」の伝達力の向上こそが目的のはずだ。
休日にも、あまり外に出なくなったこのごろだ。
ゆっくり「言葉」の大切さを考えたい。
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