見える学力 見えない学力
9月27日の日曜日。今にも雨が降り出しそうな朝だ。
昨日東京は270人、ウイルス感染者である。
先日の連休から一気に各地の人出が増えた。東京発着の旅行や移動が解禁となって、今後はますます増えるのだろう。
・・・これが本当に正しい選択なのだろうか?
国や自治体の方針や姿勢は大事だが、最後は「自分自身」の責任と判断なのだろうと思う。
そこで「判断力」である。
これは、岸本裕史先生の提唱した「見える学力 見えない学力」の「見えない学力」の範疇の「生きる力」だろう。
この「判断力」で、私が最近気になることは、
人種差別への抗議マスクに対して「アスリートが政治的な発言をするのはどうか」という声があること。
また、女性への性犯罪について「女性はいくらでもウソをつけますから」という女性国会議員。
(そういえば、「国民の皆さん云々」と言うつもりで思わず「下々の皆さん」と言った大臣がいたことをを思い出した。)
これらは、社会の中で人々と共存して生きるという基本姿勢が欠落しているとしか言いようがない。
ウイルス禍で学校は大混乱している。
学校全体が疲れ切っている。
その中で足早の授業が進んでいるとも聞いている。
子どもたちには、学んで身につける「見える学力」はもちろん大切だが、同時にいろいろな生活の場面で、自分でしっかり判断できる「見えない学力」が、さらに大切である。
「見える学力 見えない学力」、今問い直されているのではなかろうか。
子どもに限らず、大人にも。
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