障害者殺傷事件について

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日本標準

8月28日の日曜日、静かな霧雨の朝。

台風10号が近づいているらしい。Uターン台風だ。

おかげで涼しいが、湿度が高く、爽やかではない。

 

障害者殺傷事件から1か月。容疑者は、今もその信念を主張しているらしい。つまり「障害者は不幸を引き起こす」という信念だ。

私は、これまでいくつかの「福祉」に関わりを持ってきた。

一つは「知的障害者の自立支援」を目的としたNPO法人の立ち上げである。今では社会福祉法人として独立した活動に発展している。

もう一つは私の長男が福祉の仕事に従事している。介護福祉士、ケアマネージャーとして仕事をしている。(その苦労はよく聞いている)

そしてもう一つが妻の介護だ。

 

私の体験からわかっていることは、幸せか不幸かということと、障害の有無とは関係が無いということだ。

NPOの活動では、これまで多くの若者が施設を卒業して社会に飛び込んでいった。彼らは、ときには怯むときもあるが、常に明るく、努力していた。私たちが学ぶことが実に多い。元気ももらえる。

 

息子から仕事の悩みを聞くことがあるが、その悩みは、仕事の意味ではなく、そのハードさだ。

夜勤で、多くの重度障害者を、少人数で預かる緊張感などらしい。

 

わが家では、妻が倒れてからの生活のほうが笑顔が増えた。

苦労は確かにある。しかし不幸ではない。だって、以前より夫婦仲が良くなったのだから。これは私の(反省の上に立った)自慢である。

 

「弱者は、より弱者を排除する」というようなことなのであろうか。

今世の中に、この事件に対する、ある「理解」の雰囲気があるようにも感じられる。・・・恐ろしく、そして危険である。

 

私は、この事件に関して、国(政府)が毅然とした方針と対策を出しているとは、あまり感じていない。

福祉の仕組みを抜本的に考えなければならない状況を、今の日本は迎えている。事件を起こした個人の問題では済まない問題だ。

今、「日本の質」が問われている。

 

 

 

 

 

 

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