ノンフィクションの描く世界

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日本標準

昨日も一日そうだったが、今朝も薄暗くて肌寒い。
立冬も過ぎたのだから寒いのは自然なことだろうが、曇天というのはすっきりしない。

タイトルに「ノンフィクション」と書いたのは、今、沢木耕太郎の「246」という文庫本を読んでいるからだ。
先週新幹線に乗ることがあって、品川駅で買って乗り込んだのだ。
(壁沿いの本屋さんという感じの店)

沢木耕太郎は、私と同じ歳の、そして私の好きなノンフィクション作家だ。
「テロルの決算」「敗れざる者たち」「一瞬の夏」「バーボンストリート」「深夜特急」「血の味」「オリンピア」「檀」「凍」等々、そして今年「キャパの十字架」発表。

生まれ育った場所は違うが、いわゆる団塊世代。戦後の中で生きてきた。
ルポ、ノンフィクションの世界だから、自分の体験や思いがそのまま文中に出てくる。
・・・それがよくわかるのだ。そう、彼がそう言う気持ちが。


そして彼のずっと記してきた日記をまとめたものが「246」。
ルート246のことだ。
私ら世代で、二十歳前後を東京のほうで過ごしたものには懐かしい。

今度あらためてわかったのは、ルポとかノンフィクションというのは、取材対象を忠実に描いているようで、実はフィクション(虚構)よりもはるかに、自分(著者)をさらけ出すものだということ。

相手(他者)を見て、どんな人かの印象を持つ。誰でもそうだ。
でもその印象は、まったく著者の主観で、事実(かどうか)の保証は無い。
つまり、その人がそう思っただけなのだ。
でも読者はそれを読んで、「ああ、そんな人なんだ」と思う(ことが多い)。
そう思わせることが、作家の実力でもある。

そう考えると私は、描かれた人物像への興味というよりも、沢木の受け止め方や感じ方が好きだということになる。


なんだかうす寒く、うちの前の道をあまり人も通らないなかで、そんなことを考えている、日曜日の朝である。

ところで、北朝鮮拉致被害者は、日本に帰ることができるのだろうか。

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