なぜヒトだけが 老いるのか
6月16日の日曜日。朝方の雨がやんで、少し涼しい風が入ってきている。
先週末、横浜の青葉区を訪ねた。 降車駅は「市が尾」駅。
「高齢化社会をよくする虹の仲間」の懇談会に参加するためである。
創立40年を超える、すばらしい実績と行動力の組織だ。
今から10年ほど前、編集者時代にお世話になっていた横浜の元校長先生にお会いしたとき、私が妻の介護の話をして、先生がその話を仲間に聞かせたいということになり、訪問したのがお付き合いの始まりだ。
それからほぼ毎年1回はその集まりに参加して、楽しい時間を共有させてもらっていた。
今回、私からは日本国憲法や、今の教育の話などを。
いろんなおしゃべりのなかで、一人ひとり自己紹介を兼ねての発言タイムになった。
若者の未来についての心配、戦争の不安、パートナーを失っての心の置きどころ、残っている人生の過ごし方・・・。
一人ひとりの真剣な話に、私は心を打たれた。
院生の若い女性を除いて、ほぼ私と同年配かそのちょっと上か下という方々(私の予想を含めて)。
昔はいらっしゃった男性が今回はゼロ。そうか、なるほどという感じ。
「なぜヒトだけが老いるのか」(小林武彦著 講談社新書)の話が出た。
「生物は、死ぬものだけが進化できて、今存在しているのです」
「ヒトの場合は、この死の前に老い(老後)の期間があります」
どうやらこの老いの期間は、ヒトがそれまでの人生で体験した知識や生きる知恵、考え方を、若いヒトに向かってアウトプットする期間ととらえたらどうだろうかと、この筆者は言いたいらしい。
市が尾に行って、若々しく魅力的な方々と時間を過ごすうちに、私も元気になったのだった。
私は、さて自分のアウトプットタイムに、その任務を果たしているのだろうか・・・?
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