この夏、言葉の重さを考える
7月22日の日曜日の朝。関東地方も梅雨明けらしい。
連日の猛暑と水害で、「梅雨」という言葉が最近はピンと来ないけど。
学校は、ほぼ夏休みに入ったようだ。
世の中には、最近抽象的であいまいな言葉が広がっている。特に感じるのは政治の世界。
「骨太の○○」「異次元の○○」「極めて遺憾」「可及的速やかに」「発言を差し控える」・・・。
「霞が関用語」というらしい。説明しているようで中身がわからない。
コロナ禍とSNSの影響で、子どもたちの言葉も変化して減少している(大人もだが)。
簡単な意思や事物内容は示すが、微妙なニュアンスや深い感情表現などが衰退しているのではないか。
昨日、日ごろ指導をいただいている大学教授からメールをもらった。
生成AIについての話だった。世界規模の大規模言語モデルの急速な変化の中で、日本語(というマイノリティー言語)の言葉の力や対話力についての危惧だった。
この生成AIでは、経済効果を前提としたような「活用」と「効率化」の話が飛び交っているが、それだけの話では済まないだろうと私も考えてしまう。
これは、教育の最大テーマ(課題)となっていくのかもしれない。この日本では、特に。
自分の使う言葉を、もっと大事にしたい。大事に伝えたい。
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