日本人が英語を学ぶということ
4月17日の日曜日。 薄曇りの静かな朝、この辺の桜並木は葉桜になった。
現在、小学校では3年生から英語学習が始まり、5年と6年では正式教科となっている。
この日本人が英語を学ぶということが、実は厄介なのだ。(外国生活体験とか、ネイティブな環境の場合はまったく別問題だが)
私たち一般の日本人にとって英語を話すということは、言いたいことを頭の中でまず母語である日本語で考え、それを英語に変換することになる。
つまり、子どもたちが英語を初めて学ぶとき、日本語(母語)がある程度確立していることが必要である。
英語を理解するということは、日本語に転換して考えて、理解するということだから。
日本語と英語は、違いが大きい。
私たち日本人は、通常の会話ではあまり主語を使わない。
英語では必ず主語から始まり、すぐ次に述語が来る。
日本語ではそういう決まりがなく、すごく柔軟で、あちこちに主語があったり無かったりして、述語も文の最後にあるのが普通だが、そうではない言い方も(会話などでは)多い。
また、小学校(だけではないが)の英語学習では音声(スピーキング)が重視されている。
これも、学校の大きな負担になっているはずだ。 教師のキャリアや設備の面でも。
小学校の英語体験をふまえての、中学校に入学してからの英語学習は、どんな状況になっているのだろうか?
児童英語塾も盛んな今どき、クラスの子どもたちの「英語力」は、ナイヤガラの滝ほどの落差があるのではなかろうか?
先日新聞記事で、鳥飼玖美子氏(立教大学名誉教授)の文章を読んでの、納得しながらの、私の心配である。
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