私たちは、どう生きるのか

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日本標準

7月28日の日曜日。 こちらに迫っていた台風も温帯低気圧に変わり、今は曇り空の中に青空部分も見える  そして蒸し暑い!

 

今朝は、朝から「教職研修8月号(教育開発研究所)」を読んでいる。

そのなかに「学校づくりのスパイス―異分野の知に学べ―」という講座があり、「学校教育の土台がゆらぐ!?」(武井敦史氏)という記事があった。

そのなかで、「AIの進化と未来の経済社会」について述べておられる。

これまで、私たちが自分の仕事をすることは、自分の生活の糧を得るためというだけではなく、自分の仕事で頑張ることが社会を成り立たせる大事な要素であるということを強く思ってきた、と私も思う。

一方、これからのAIの進化の中で追及することは、仕事の効率化や生産性の向上であり、ミスを無くすことであり、広くは人々の生活の安心や安定をめざすものであろう。

言い換えればこれらの努力を、人間以上の技術でAIが推し進めるということかもしれない。

「仕事をがんばって世の中をよくする」とか「毎日の仕事の苦労から解放される」ことは、これからは人間の役割ではなく、AIがやってくれる。

武井氏は、こんな状況を想定する中で、私たちが生きていく「意味の欠乏」を提起しておられるようだ。

そしてこれは、そのまま「公教育は何のために?」という心配につながると指摘されている。

 

私がこれらのことをきちんと整理できるほどの「頭の技術」が至っていないが、大事な提起だとは思う。

なんだか、これからの時代の最大テーマは「私たちは、どう生きるのか」ということになっていくのでは・・・と考えた次第である。

ウーン、まだ、考えないと・・・。

 

 

 

 

 

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