社会保障の、現状と未来
2月19日の日曜日。 風は冷たいが、陽射しが温かい。
TVで、水戸の偕楽園の梅まつりで賑わう様子を観た。五分咲きとか。
先日仕事で水戸に出かけたが、偕楽園にはカスリもしなかった。
さて、教育は社会の鏡とよく言われる。
「子どもの貧困」「学力の貧困格差」「貧困の世代間連鎖」等々。
そして一方で「超高齢化社会」「高齢者の貧困」「老々介護」等々。
私は、仕事柄いつも教育について考えている。
そして、同時に家庭の事情で毎日「介護」に向き合っている。
ちょっと私事の報告をすると、
先日、妻の介護度認定の審査があった。結果は「要介護3」の現状維持。
妻はもう一つ「身体障碍者の2級」認定でもある。(これは来年審査かな?)
典型的な「要介護者」である。そして様々な恩恵というのか、国の制度による支援を受けて毎日を過ごしている。
では安心かというと、そうでもない。ケアシステムが不安定なのだ。
妻が要介護状態になって自宅に戻り、5年半が経過した。
自宅での介護システムを組む中心は、ケアマネージャーだ。
そのケアマネさんが、今まで4回交代した。この3月からは5人目だ。
理由は、介護センターを辞める、介護センターが廃業する、等々。
ケアマネさん以外でも、介護ヘルパーさんの変更は何回も。
理由は端的に言って、採算難による悪条件と人手不足の問題だ。
お世話になった介護のプロの方々は、すべて素晴らしい本物だった。
やさしい気配り、的確な判断と行動力、コミュニケーション能力・・・。
つまり、世界に誇る日本の介護支援システム(という社会保障制度)は、実はとても不安定なのだ。皆さんご承知だとは思うが。
さて、
教育とは、社会福祉、あるいは社会保障の中に位置づけられるものだと常々思っているが、今教育の現場の様子が、この介護の様子と似ている。
「人手不足」「予算不足」「時間不足」「やりたくてもできない」・・。
その中で、精神的にダメージを受けてしまう人(先生)も増えている。
これからは「国家の形成者」としての教育が求められる。大事だ。
しかし、憲法で保障されている「個の尊重」という面ではどうか。
社会のあちこちにほころびが出て、しかも深刻さは増していると言える。
「個」は「自分のこと」ではない。「お互いの」という「個」だ。
社会保障についてみんなで考える。
その中に、教育の未来も、国の未来もある。
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