英会話授業 不要論も
11月20日の日曜日の朝。
めずらしく霧が立ち込めている。これから気温が上がるのかな。
早朝ウォーキングのときは、まだ暗くて霧だから、川岸を歩いていると見知らぬ土地を歩いているような気持ちになった。
明日は泊まりの出張なので、机に着く前に、妻のショートステイ用の準備を済ませた。自分の出張準備は、このブログを書いてからだ。
介護の施設にお世話になるには、着替え、薬、歯磨きセット、その他諸々の荷物に、全部名前を書いていなければならない。
これが意外と面倒。人生では子どもの小学校入学時以来の作業だろう。もちろん私がそれをやってはいないが、今度は妻のものを私がやっている。
さて、標題の気になる言葉「英会話授業不要論」は、11月17日の朝日新聞夕刊1面の記事である。
東京五輪に向けて、音声自動翻訳機が急速に技術向上しているという記事だ。
この仕組みは、日本語を一文ごとに音声認識して文字に直し、その単語を一つ一つ英単語に変換する。英語の語順を最も確率の高い文章に並び替え、文章を音声に合成する。
旅行、医療、防災、生活分野での開発が進み、東京五輪までに日常会話で問題ないレベルにするのが目標(総務省研究推進室)。
ここで例のAIの新井紀子先生曰く「技術は飛躍的に向上している。大半の日本人の英語力が機械に負ける日も遠くない」・・・。
そして、学校の英語教育のあり方も変わるかもしれないと。
「簡単な内容は機械任せでよくなり、今の英会話中心の授業は不要だろう。小学校からやる必要があるのかも再検討するのでは」とおっしゃるのは、鳥飼玖美子立教大学名誉教授。
先生は「全員が英語を習得する必要はなく、異文化理解のための学習に軸足が移るだろう」とも。
これに対して、文科省国際教育課の担当者は「教育のあり方に影響するのか、教育はどうあるべきなのか、特段の議論はない」のだそうだ。
私は言いたい。『特段の議論をしろよ! 今すぐ!!』・・・と。
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