別れから、何が始まるのか
3月20日の日曜日、こちら関東地方は強い風が吹いている。
そして春分の日だ。
お彼岸ということで、この休日にはお墓参りに行かれる方も多いのだろう思う。
そのお彼岸に少し関連するかもしれないが、昨日は、お通夜参列のために福島に行ってきた。
常々お付き合いの深い販売代理店社長のお母様が逝去されたのだ。
実は10日ほど前、仕事上のご挨拶ということでお邪魔していた。
このところ、別れが多い。
今年に入って、お通夜や告別式、お別れ会に参列したのは5回だ。
大往生というのか、立派な人生だったと感じたことが3回、私より若くその別れを悲しく残念に思うことが2回だ。いろいろな別れ模様だ。
そして故人を偲びつつ思うのは、残った人のことだ。
ご遺族はもちろん、いろんな形でその周りで残された人たちがいる。
そこに参列している私もその一人だ。
私は、読経を聞きながら考える。残された人のこれからを。
それぞれの変化の中の新しいスタートを。
故人が何かを伝えることができるのなら、かならず残った人たちのことを案じるだろうから。
故人との別れは、それぞれに関係性の違いはあるだろう。
でも、自分が生きていることの意味をあらためて感じることは大事なことだ。残されたものとしての人生をどう過ごすのか・・・。そんなことを考えた。
さあ、4月も目の前。
新しいスタートに、スィッチの切り替えだ!
<追記> 上記のブログを書いて、妻の車イスを押しての散歩に出ていたら、遠き友より字の間違いを教えてもらった。故人を個人としていた。・・・良き友は、生きているからこその財産である。
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