企業の、社会的不正義という行為

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日本標準

この土日は、宮崎に出かけてきた。

関東とはちがい、吹く風が、まだ初秋を感じさせた。

 

元々は毎年出かけていたのに、今回は4年半ぶり。

訪問した会社の体制も、若返りの方向で動いていた。

夜の意見交流会まで含めて「会議」と設定したので、話し合いは続いた。

厳しい指摘ももらった。意見要望もいろいろと聞けた。

そして交流は続き、長い「会議」となった。

それぞれ成長した彼らを見ていて、なんだか、同窓会に来たような感じもした。

とにかく、元気をもらえる貴重な時間だった。

 

話は変わるが、

企業の社会的不正義というのか、そんな行為が続いている。

当然、大企業の話だ。だから世界的な話でもある。

マンション等の耐震偽装、そして車の排気ガス規制の偽装などだ。

これらの報道で私たちが考えたことは、「同じようなことは、ほかでもやっているのではないか」ということだろう。

偽装というのだから、意図的なわけだ。

ばれなければ、これからも続いていたということになる。(そう考えてしまうなあ)

もう一つ、こういうことは、ほかの業界でもあるんじゃないか・・・等々。

そうなると、社会全体に対する不信感に近くなってくる。

 

今、18歳からの選挙権が準備されている。

そして、その準備として教育の在り方が検討されている。

教育における中立性が重要とも言われている。

 

社会全体に対する関心こそが、新しい選挙民の「投票」の土台になる。

そう考えると、選挙権に対する教育の在り方について本当に考えるべきは誰なのか・・・。

それは偽装が起こる社会の仕組みであり、それを秘密に進め、ばれて残念がっている大企業なのではないのだろうか。

正しいか正しくないかの判断より、よりよい社会にするための投票になるべきだ。

18歳の投票者に価値ある判断をしてもらうための、社会の責任が大きい。

 

 

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