自己肯定感が低いのは、子どもだけではなかった
6月29日(日)の朝である。
昨日は終日シトシト雨で、梅雨らしかった。(別に嬉しくはないが)
今日もそんな1日になりそうである。
前回のブログで書いた都議会のヤジ問題だけど、大きな問題にはなった。
でも、一人だけ名乗り出たところでの幕引きを図ろうとしている気配はよくない。
「結婚したら・・」の後に「子どもが産めるのか・・」のような(別人の)発言があったのは音声記録に残っている。
それを、「調べたけど、だれも聞いていなかった」と言って済むわけ?
ふつう世の中では済まないよ。音が残っているのに・・。
ヤジは議会の華(はな)・・・なんて、誰が言ってんだろう?
ああいう、政治の場以外でヤジが公然と存在するのはどこだろう?
そうか、大企業の株主総会かな?
いずれにしても、民主主義とは全く縁もゆかりも無い品性の低さだ。
さて、教育に関して重大な発表があった。
それは、日本の中学校教師の「自己評価」の低さである。
(OECD25日公表)
NPO法人日本標準教育研究所では、主に小学校教師を対象にして「教師の多忙感」について独自に調査研究を続けているが、毎日新聞6月26日付けの第3面に、この二つの問題がセットになって掲載された。
中学校教師は、世界でいちばん勤務時間が長い。
でも授業時間が長い(多い)わけではない。
部活動の指導、生徒指導や保護者対応、書類作成に追われているのだ。
授業準備どころではない・・・。
そして、新たな教育課題が次々と突きつけられる。
・いじめ問題、学力向上、キャリア教育、特別支援教育
・虐待や家庭内暴力など、家庭の問題解決も学校が抱える
私たちの取り組んでいる小学校調査でも、全く同じ状況である。
こんな状況が、教師の「自己評価」を低くさせるのだろう。
学校現場からの強い要望が「とにかく教員の数を増やしてほしい」である。
今年度、文科省は3800人の増員を求めたが、認められないどころか減員させられた。
少子化に比例しての減員ということが理由だ。
公教育への期待や要望は大きいし、同じくらいに不満や批判も大きい。
しかし、実態はあまり知らされてはいない。
こんなことに関心のある方は、(前回も書いたけど)
8月1日の午後、東京KKRホテルに集まりましょう!
NPO日本標準教育研究所主催の教育シンポジウムを開催します。
「教師の多忙感」について徹底討論をします。
「教えるとは、子どもに希望を語ること」(仏 ルイ・アラゴン)
教師の自己評価を高くできないで、教育に未来は無い。
自己評価は、教師自身の希望度の表明そのものだから。
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