遅い夏に思うこと
8月2日の日曜日。やっと青空が見える。長い梅雨だった。
東京の、そして全国のウイルス感染者が連日記録更新している。
検査数がわからない中での数なので、ただ不安なだけだ。
終わりの見えない外出自粛、営業自粛、活動自粛はきつい。
会社でも、「ウイルス対策」を毎月更新しながらやっている。
「うがい、手洗い、水分補給」や「来客対応は決まった場所で」、「検温やマスク」、連絡網なども。
このマスクがきつい。苦手だ。
私は、しゃべるのが仕事のようなものだ。会社に行くとほぼずっとしゃべっている。
鼻と口中心に顔の前面を覆うマスクは、話していると酸欠になる。
実際になった。話していてクラっとした。
それからはフェイスシールドだ。呼吸は楽になった。
しかし、自分の発音がそのまま自分に戻って疲れる。
教室でマスク使用は無理がある。
口の動きが見えないことは、コミュニケーションを阻害する。
表情がわからないと、先生も子どもも不安になる。
実は私自身も相手の心が読みにくい。
そして体験上思うけど、不衛生だ。特に夏は。
しかし、頑張るしかない。我慢するしかない。
あと数日で半年。妻が亡くなって。
毎日線香をあげて、毎週墓参りをしている。でも寂しい。
初盆の準備をしていたが、集まるのをやめた。
ファミリーだけで、そっとやろうと思っている。
戦後75回目の夏。
ほぼすべての催しが中止かリモートに。
遅い夏にセミが鳴いている。
来年の夏を。私たちはどう迎えるのだろう。
そう、今年の夏は「考える夏」なのだ。
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