「予測不能社会」に、どう立ち向かうか
3月8日の日曜日。夜の間降っていた雨がやんで、今は曇り空の寒い朝だ。
コロナウィルス、すべてこの問題で日本、いや世界中が覆いつくされている。そう、だれもが不安でたまらない。
私が今、ここでコメントをしても役にも立たず、無力だ。
昨日の土曜日、ふと思いついて近くに住む孫娘の様子を聞いた。4月から中学に上がる。
家でダラダラしているような報告だったので、外に連れ出した。
行ったのは近くのストア。さすがに人が少なく8割がマスク。親がマスクで小さな子どもはマスクなしという印象。(幼児用のマスクってあるのかな?)
長居はよくないので、通学で使うリュックを買って帰ってきた。
小学校の卒業式は、24日に保護者や来賓抜きで短時間に行うと聞いた。
大事な人生の節目にかわいそうなことだなあと、全国の子どもたちや保護者、そして学校の方々のことを思った。
先が見えないのが苦しい。
現代は「予測不能社会」といわれて久しい。
世の中でそう言われるようになったのは、阪神大震災(25年前)、そして東日本大震災などの悲しい体験がきっかけになっているような気がする。
それにAI、情報社会の混乱が不安に輪をかけているとも思える。
「メディアリテラシー」という言葉がある。
「情報を批判的に読み解く力」ということらしい。
今の日本の混乱、そして全国の小中高の休校という事態。これがベストチョイスなのかもあいまいなまま、じっと耐えている。まさに明日のことがわからないままに。
三日後、3月11日は東日本大震災から9年目。
情報を、批判的に(客観的に)読み解く力を身につける。私たちに大切なことなのではなかろうか。
この4月から「主体的な学び」に取り組む学校教育も、ここらへんがポイントなのかもしれない。
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