「主体的な学び」を支える社会

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日本標準

2月23日の日曜日。今朝は、すっきりと晴れている。

梅も満開だし、今年は桜の開花が早いとニュースで言っていた。

 

コロナウィルス。日本は完全に立ち遅れたと私は思う。

原因不明だから、難しいのはわかる。でもわからないから「何とかなる」「いずれ治まる」があったのではなかろうか。

クルーズ船内では感染者と非感染者がフリーに行き来していたというし、下船してタクシーやバスで帰宅したとも聞くし、これらのことが外国では驚かれている。

 

これは、9年前の大地震と原発事故に似ている。

そんな大地震は来ないという想定だから、安全だ。でも大地震が起こり、大津波が来た。防波堤を超えて原発を破壊した。今、原発汚染水を海に放水するかで地元が二分していると報道されている。

 

こんな状況を、私は教育の視点から危惧するのだ。

これらの状況を「仕方がない」で済ませてはならない。

 

公教育では「主体的な学び」が重視されることになっている。

なぜか、

一人ひとりが社会に関心を持ち、疑問があれば発言したり、対話したりできるようになるためだろう。

逆に言えば、社会がそんな状況を保障することが大事だ。

掛け算の答えは一つ。でも考え方の答えは一つではない。

「主体的な学び」のポイントは、そこなのだ。

私は、2020年度の教育改革が目の前に迫っているなかで、これらの交通整理がまだ不十分なことを危惧する。

 

NHKのドキュメント番組で、韓国の若者は日本の若者との対話を8割が求めていた。日本の若者は、ちょうど逆で2割程度だった。

これらは、教育のあり方も関係しているのではなかろうか。

 

 

 

 

 

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