12歳の声 「公平」とは何か
6月9日の日曜日。 昨晩から雨が降り続いている。
梅雨寒の朝だ。
前回のブログで家庭の事情を書いたら、ご心配の声をいただいた。
恐縮しながら、ありがたく感じてもいる。まだ戦いの途中だ。
昨日(8日)の朝、私が2階から降りると、妻が「ここを読んで」と、新聞記事を見せた。
今日は、その記事「12歳の声」を紹介したい。
6月8日付 朝日新聞の声欄に掲載されたものだ。
「公平とは何か 授業で考えた」というタイトルで、
きっかけは、5年生のときの道徳の授業です。公平とは何かを考える授業でした。授業前の私の答えは「平等」。何もかも均等になることが公平だと思っていました。
でも、勉強の得意でない子に先生がたくさん教えることはえこひいきかどうか、という話を考えて、授業前とはちがう考え方が生まれました。
勉強がよく分からない人がいても授業を進めることよりも、分からないと感じる人がいなくなるまで説明してもらう方が、公平に理解が得られると思います。
全員がしっかり理解をするために必要なのであれば、だれかにえこひいきではなくなると思いました。
「公平」とは、全員の納得。全員が理解・納得をしてからの行動。これが今の私にとっての公平です。
こんな内容だった。(一部省略して)
何とすばらしい! 12歳の女子の感性と判断力が!
そしてこのときの道徳の授業が、主体的で対話的で深い学びを促すものだったにちがいない。
今日は、そんな新聞記事の紹介をした。
妻が、私にこの記事を教えてくれたということも含めて、私は深く感動したのだった。
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