敬老の日に思ったこと

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日本標準

9月17日の月曜日。 敬老の日の朝は青空だ。

2階の窓から見える小さな通りの両端には、コスモスの花が咲いている。そして紅い曼珠沙華も見える。

 

昨日の日曜日は、長野県の松本で、お通夜だった。

長い間、親しくお付き合い、そしてご指導をいただいていた仕事の先輩が亡くなった。

豪快で、正義感の強い人だった。

いつも、事務所を訪ねるとまずお茶を一杯。そしてお新香が。

そしてすぐ2階のご自宅へ行く。

そこには、奥様の数々の手料理が待っているという手はずだ。

楽しく語り合い、ドンドン飲む。・・・思い出す。

これまでの大黒柱はいなくなったが、これからを引っ張る社長(息子さん)と、その家族を見守りたい。 充分立派にやっているけど。

 

ところで、日曜日の朝にブログを書かなかったら、佐賀の姉から心配のメールが来た。夕方、松本にいるときだった。

「書き込み(ブログ)が無いけど? 変わりないとは思いながら、ちょっと気になりメールしました。」と書いてあった。

10歳上の姉だ。つまり81歳。

若いとき文学を志し、東京の大学を希望したが、父親が許さなかった。

そして私は、その同じコースを進んだ。末っ子の私はそれを許された。

私の読書好き、そして大学での文学専攻は、姉の影響であり、代理戦争でもあった。

その姉が、私のブログを楽しみにしている。そして健康を気遣ってくれている。・・・私には、いつになっても頼りになる姉なのだ。

 

私たちの母親が、米寿のお祝いの後に亡くなってから、もう長い。

いつからか、5月の母の日の届け物を、姉にするようになった。(姉は、律儀にお返しをしてくる。困ったものだ。)

 

高齢者が増えて、迷惑そうな世の中である。

敬老の日と思いつつパソコンに向かったら、こんな文になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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