すべての人を包み込む社会を
1月14日の日曜日。今朝も関東地方は晴天だ。
今日も厳しい寒さは続いている。今朝歩いたときはマイナス3度くらいだったと思う。
今年も2週間過ぎた。あっという間に1か月が、1年が過ぎていくのだろう。
12日は日本標準の全社員会議。そして昨日の13日は東京都の新年度会議だった。いよいよ「2018年度」がスタートした。
全国各県の会議にほ、私自身ほとんど参加しない予定だが、東京は専売店組織の運命共同体ということで今年も参加した。
私がこの二日間に訴えたことは、標題のとおり「すべての人を包み込む社会を―これが教育の目的」ということである。
世の中というもの、時を重ねれば、発展したり、改善の工夫を重ねたりして、人々の暮らしはより安定し、安心度が増すはずである。それこそ人間の知恵で。
なのに、戦後70数年のなかで、世界を見ても、国内を見ても、「格差」「選別」「将来不安」「あきらめ」があちこちに広がっている。
そして一触即発的な世界的なリスクも高まっている。
これはいったいどういうことだろう? 人間の知恵はどうした?
今、若者から高齢者まで(つまりみんな)気づいているのではないか。
経済の発展によって人々の幸せを支えるという社会はもはや見込めないし、それがみんなの幸せにつながるというものでもないなということを。
今、新しい価値観をめざしていくときが来ているのではないか。
経済競争で豊かさを競う時代から、心身の充実した社会、言いかえれば「成熟した社会」ということか。
定年を迎えた人がそれから30~40年生きる、成人式を迎えた人がそれから70~80年生きる時代である。
これはもう絶対、社会の仕組みが、物事の価値観が変わらないでは済まない。
私は思うのだ。
自分のこと(だけ)を考えればよい時代は、もう終わった。
「なかま外れをつくらない、すべての人を包み込む社会」について、真剣に考える時代が来たのではないだろうか。
2020年から始まる新学習指導要領(2020年~2030年)の、本質的な目標を、私はこう考えるのだが、いかがだろうか。
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