投票率、およそ50%という国は・・・
11月12日の日曜日の朝。今日も気持ちの良い晴天だ。
日曜日の朝8時にブログを書くようになって、もう何年経つのだろう。
朝のウォーキング、新聞の朝刊チェック、朝食の準備、妻の着替えの手伝い、食事の後始末などを済ませて2Fに。
今では、体が自然に動いてパソコンの前に座る。座るまでは何を書くか決まっていない。電源を入れて、この画面を開いていくうちにイメージがわいたことを書き出すようにしている。
頭に浮かんだことを、順に書き込んでいくうちに、今日のテーマが見えてくる。
一定の長さになったら、読み返し、語句の修正をしたり、文の順番を入れ替えたりしながら、タイトルを最後に入れる。
これが長く続けている私のブログのスタイルだ。・・・自然流。
先週末の金曜日に、埼玉県全市の教育長さんの定例研修会から声がかかり、話をした。狭山市が当番ということでそうなったらしい。
そこで話したことの中に、タイトルの「投票率50%の国」がある。
なぜ日本人は、有権者の半分近くが投票しないのだろうか。
自分の1票で何も変わるわけじゃないとか、もう諦めているからとか、せっかくの休みに面倒とか・・・。
確かにそうかもしれない、自分の1票でガラリと政局が変わることは無いだろう。雨でも降ったりすると少しトーンが落ちるし。
でも、ちょっと待った!
「競争社会の歩き方」(大竹文雄著 中公新書)の172ページを読んでほしい。いや買わなくていい。紹介する。
「選挙について考える」という章で「合理的無知」と、小見出しがある。
「有権者のこのような行動は『合理的無知』と呼ばれる。この合理的無知が蔓延してしまうと、政治家や政党は、自分たちの都合のいい政策や自分たちの利益が大きくなるような政策をとることになる。なぜなら、有権者の合理的無知の結果、政治家の行動や政策について、選挙での抑制が効かなくなるからである・・・。」
いかがでしょうか。
「未来の予測が難しい時代」を生きていかなければならない、若者たち、そして子どもたちに、どんな社会を提供するのか。
このあたりにも、考えることがあるようだ。
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