5年前の震災被害を、なぜ教訓にできないのか
4月17日の日曜日の朝。 関東地方では強い南風が吹いていている。
今日も、私は物流センターに来てこのブログを書いている。
物流センターは、4月になって今日まで毎日フル稼働だ。みんなの疲れもピークだと思うが頑張ってもらうしかない。
それでも発送が滞り、全国のお客様にご迷惑をかけている。(申し訳ありません!)
当初「熊本大地震」と命名されたらしいが、今は「九州大地震」災害になった。いや九州を飛び出して四国や本州に拡がり、西日本大地震になるのかもしれない。
今朝の日経新聞では、死者41人、避難者9万2000人、停電約10万戸、断水約41万戸。
TVで、おにぎりをひとり2個配給の様子を見て胸がつまった。
あくまでも現段階の数字で、行方不明者がおられるし、これから被害はもっと拡がるだろう。
新聞では、専門家の学者が「今回の地震はよくわからない。見たことのない現象が続いている」とある。
しかし、地震大国の日本である。
起こってからの分析ではなく、起こる前の研究や対策が必要なことは、「3.11」が痛切な悲しみの中で教えてくれているはずだ。
「予測される危険性」という視点での研究がおざなりだったのでは?
発生してしまってから、活断層の位置や危険性を分析されても遅すぎる。
九州には、阿蘇あり、霧島あり、雲仙あり、由布岳あり、いわゆるいたるところ温泉ありだ。ということは活断層が集中しているということだ。(日経3面に、そう書いてある)
その中で、特に気になることがある。
NHKの報道で、ずっと被害の様子をテロップで流しているが、数分おきに「川内原発は異常なし」「玄海原発は異常なし」というのが流される。昨晩くらいからは「伊方原発」も入ってきた。
私には、何を言っているのか、さっぱりわからない。
原発の、まさにそこに直下型地震が起こったら、「安全ではなくなった」というテロップに変わるのだろうか?
おかしくないいだろうか?
「予測される危険性」に取り組まない国、それが今のニッポンである。
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