中内敏夫先生を偲んで
4月3日の日曜日、関東地方は曇っている。
5時起きの早朝ウォーキングでは、川沿いの桜が見事だった。満開だ。
先日、逝去された中内敏夫先生のご自宅を弔問した。
現在、日本標準が「到達目標と評価」に関する理論を出版活動の軸に置いているのは、まさに創業者石橋勝治と中内敏夫先生の力によるものである。
昭和54年に発刊した「学力到達目標と指導方法の研究」全5巻の監修者は「中内敏夫先生、川合章先生、坂元忠芳先生」の3人。
上記3人の先生に、各教科責任者の先生を加えて、2年間にわたって検討会議が続けられた。もちろん、石橋勝治社長(当時)自身は熱心な参加者だった。
そして私は当時国語の編集者として、この会議に参加していた!(参加じゃないな、勉強の機会を得ただけ)
とにかく私にはレベルの高い話で、話の内容に付いていくのに必死だったが、そのとき私がそのために勉強した本が、中内先生の「学力と評価の理論」(国土社)だった。
日本標準の「到達目標と評価」の理論は、まさにこの会議から生まれたことになる。
中内先生には、その後、私たちが一橋大学を訪問したり、先生にうちの会社で社員に講演していただいたり、長くご指導をいただいてきた。
ご自宅を訪問して奥様といろいろ思い出話をさせていただいた。
驚いたのは、先生の絵の才能である。フランス留学やヨーロッパ旅行での心象風景が見事な作品となっていた。暗い路地の先に見える古い建物が、心ときめくような色合いだ。ぜひ、多くの人に見てもらいたい。
日本標準の原点について考えることが多いこのごろ、中内先生のご自宅訪問が、また新たな刺激を与えてくれた。
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