新年度会議を目前にして
1月25日の日曜日の朝。
今朝のウォーキングでは、富士山が見えなかった。
しかし、夕方5時までは明るくなった。確実に春に向かっているのがわかる。
この数日、報道は「イスラム国」による人質事件の話で占められている。
一刻も早い人質開放と解決を祈るしかない。
この事件の重苦しさは、ほかの明るいニュースを吹き消してしまう。
さて、1月も終盤だ。
日本標準では、1月末から新年度会議が始まる。
会社として精いっぱいの準備をしているところだ。
私の頭も、そのことに集中している。
だが、集中して考えれば考えるほど、それは「これからの教育」「これからの学力」という方向に頭がいってしまう。
「求められる資質・能力」「21世紀型能力」「キー・コンピテンシー」・・・
これら、いったい何だろうか?
大変なことだ。
示されているその中身を少しだけでも勉強してみると、いやいや大変なことだ。
これらの能力を十分に身に付けている大人に、私は出会ったことが無い。
私自身なんぞ、全く欠落していると言っていい。
というほど、その目指す人間像は「理想的」としか言いようがない。
勿論、だから無理だ、反対だというのではない。
目指す人間像は重要だし、示されているものは本質的になるほどと言わざるを得ない内容だ。
これらの新しい教育の目的が打ち出される背景は、社会の変化だろう。
市場の縮小で、世界の経済はグローバル化している。
というより、残された市場を求めて世界規模で競争するしかない。
成熟した社会は、この後どこに向かうのか、という問題でもある。
だから、この求められる新しい能力というのは、次代を担う人々に、どんな力を身に付けてほしいのかという命題にほかならない。
行き詰った社会を、世界規模で変える、あるいは創っていく人間だ。
いや、大変だ。
戦後最大の課題が、教育現場に要求されようとしている。
会議のことを考えているつもりが、ついついこんな方向にいってしまうこの頃だ。
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