「多様性」を受け入れる社会
2月24日の日曜日。朝の風は冷たかったけど、昼間は温かくなるらしい。
今週で2月も終わり、早くも3月。 朝のウォーキングも周囲が明るくなってきた。
今朝のNHKのニュースで、拉致被害者の家族の様子を放送していた。
帰りを待つ家族が、年月を重ね、もう大変な状況になっている。でも待ち続けるしかないし、それまで倒れるわけにはいかない。
家族の方々は、日本国内の「風化」を感じておられる。事件のことを知らない子どもたちに説明している姿が、気の毒でたまらない。
話は変わるが、今「日本を殺すのは、誰よ!」(東邦出版 新井紀子 ぐっちーさん著)を読んでいる。まだ半分を過ぎたところまでだけど。
≪東大や京大のいまの問題点は学生の多様性が下がっていることだと思います。・・・バックグラウンドが同じ子どもの比率が高いんです。まず、親の収入が高い。お金の苦労をしたことがない。そして東京近郊の中高一貫校出身者が多い。・・・自分と似たような環境の友達しか持てない。「教科書が読めない」とか「大卒の親戚なんていない」とか「コンビニまで5㎞ある」とか、そういうクラスメートを持ったことがない。
それでは、いまの日本が陥っている状況を理解できるわけがない。新聞やテレビを通じて、抽象的には入ってきているかもしれないけれども、リアルではない。・・・・≫
これは新井氏の「多様性のありがたみ」というタイトルの中の文章だ。
新井氏は、RST(リーディングスキルテスト)を実施して、「教科書を読めない子どもたち」を発表した。 結果、大変な反響があり、教育関係者には大きなショックを与えた。
≪この状態をこのまま放置したら、あと10年も経たないうちになにもかも崩壊するんじゃないか?・・・なにもしなければ10年後は、〝ない〟。≫
厳しい、厳しい、警告である。
あらゆる「多様性」を受け入れる社会にしていくためには、子どもたちに「多様性」を体験させることからなのではなかろうか。
いま日本は、・・・日本の教育は、その方向に向いているのだろうか?
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