新学期が始まるときに、忖度してみる
4月9日(日)の朝、こちらは霧雨模様だ。
サクラ、サクラ、・・・もう満開。
うちの近所に、こんなに桜の木が多かったのかと思うほど、満開になると急に目立ってくる。そして夜半の雨もあって、花びらが地面に落ち始めた。
4月も1週間が過ぎた。新学期、入学式のシーズンだ。
仕事の上では、日本標準の最盛期で、先週も今週も、全国に向けて、土日出勤で新学期用の教材をお届けしている。
まさに希望いっぱいの季節だが、こと教育のこととなると心配が。
また教育勅語の話だが、今度は文科副大臣の「教育勅語の朗読は、(教育基本法に反しない限り)問題ない」という発言だ。
しかし、しつこいようだけど、教育勅語は「主権在君」「神話的国体観」に基づくという理由で、国会で排除・失効されてきた。
つまり(その全体的な考え方として)現憲法と現教育基本法に反しているからだ。
「問題ない」のなら、教育勅語の、どこが違反で、どこが違反ではないのか、示さないとまずいだろう。
4月新学期がスタートするときに、この状態は問題が大きい。
保護者からの質問を受けたとき、学校は何と答えるのだろう。
応える基準がない状態では、難しい。
それこそ学校では、いろんな「忖度(そんたく)」が始まるのではなかろうか。
「思考力」「判断力」「表現力」、これからの主要な学力のなかに、「忖度」というのは、どう位置づけられるのだろうか。
忖度・・・他人の心を推し量ること 微妙だ。
そういえば、忖度という言葉、英語では訳せないらしい。
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