「不信の時代」を変える

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日本標準

3月19日の日曜日。この連休は、いい天気が続いている。

お彼岸でお墓参りの人も多いのだろう。何よりの日和だ。

朝のウォーキングで照明具が不要になった。河原沿いの桜の芽がふくらんでいる。あと1週間くらいしたら花が開き始めそうだ。

 

さて、「不信の時代」だと思う。

「森友問題」「豊洲問題」「南スーダン」・・・。

国会の中継やTVの報道番組でも、この問題がくり返されているが、その事実関係について野党側が問い、政府が答えているのだが、まあ、くり返しばかり。お互いにだ。

国会の証人喚問や、都議会の百条委員会などで、何がわかるのだろうか。あるいは、どう解決の方向に動くのだろうか。

私は、問題の溝が深まるばかりだと思う。

国会(の本会議や委員会)の討議を視聴してもらいたい。

はっきり言って嫌になる。・・・空しくなる。不信が生まれる。

 

「森友問題」では、教育勅語を是とする動きと政治的介入の疑問。

「豊洲問題」では、土地汚染とその後の対策状況の隠匿。

「南スーダン」では「戦闘」状態なのに、その文言だけは避ける?

これらに対する「不信感」が大きいのだ。国民も都民も。

 

国民ファースト、都民ファーストは民主主義の大原則。

今、その実行力を見せてもらいたい。

そう、未来を担う子どもたちに、大人の実行力を。

 

国が、新しい学習指導要領で、子どもたちに求めている学力や生きる力とは、これらの問題解決能力ということなのではないか。

社会に開かれた・・・とは、そういうことだろう。

さあ、ここはまず、大人の責任だ!

 

 

 

 

 

 

 

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